紫式部と清少納言を比較すると敢えて言うと実人生はどちらが勝ち組ですか。
紫式部と清少納言を比較すると敢えて言うと実人生はどちらが勝ち組ですか。
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断然、紫式部です。 清少納言は993年頃に一条天皇の皇后の藤原定子に仕えましたが、定子の実家が没落。 その上定子本人が1000年の出産後に死亡。 これによって清少納言は宮中を出て以降の足取りは不確かです。 実家の兄の子孫も、唯一の娘小馬命婦の子孫もまもなく史上から姿を消しどうなったか判りません。 小馬命婦自身は宮中に入って女房になっています。 紫式部は1006年もしくは1007年から宮中に上がって一条天皇の中宮の藤原彰子(父・藤原道長)に仕えました。 藤原定子亡きあとは、藤原彰子は名実ともに一条天皇の唯一の正妻となり、後一条天皇、後朱雀天皇の生母ともなって、長く後宮に君臨しました。 この結果、紫式部も女房(高級女官)として20年ほど仕え、栄華の一端を担いました。 紫式部は宮中から下がって一年二年ほどでなくなりました。 女房になった娘の大弐三位も高名で、しかもその子孫は女系ながら続いて公家社会に広く血が広まり、皇室にまでその血は流れています。
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