簡単に言うと第一次世界大戦に本格的に参戦していなかった為
飛行機が発明され軍事的に有用だとされて最初の世界大戦では、この新たな兵器を誰がどのように使うか試行錯誤が繰り返されました
まずは欧州でそれまで気球を使っていた砲兵の観測機として陸海軍に普及します、当然陸軍と海軍がそれぞれ採用しますが、陸軍で採用された航空機は弾着観測や敵情偵察を行うものから直接敵陣地にに手りゅう弾を投げて攻撃するような使われ方をしだし、それを妨害する為機関銃を搭載した飛行機で敵の飛行機を攻撃するようになりました
そして敵の動きを空から観察でき、敵の頭上に爆弾を投下する事もできる航空機は膠着した戦線で敵に打撃を与える切り札となることが立証されて地位を確立し、規模が大きくなると同時に独立軍種となった訳です
海軍の方は戦艦から観測機を飛ばして砲の弾着観測を行うところから艦船から飛び立ち敵地を洋上から爆撃できるかもしれないと言うところで大戦は終わりますが、陸軍航空隊は各個たる地位をもって空軍に独立しました
(その後空軍の独立任務とされた戦略爆撃はあまり関係ありません、単純に陣地戦の第一次世界大戦で頭上を通り抜けられる航空機の株が上がったためです、ドイツは再軍備で空軍を創立させますが空軍は地上支援を主な任務としていました航空機の使い方自体は日本陸軍と大差ありません)
ところが、この流れに乗り遅れたのが本格参戦しなかった日米です、両国とも一部兵力の派遣や観戦武官の派遣で情報は得ていたものの、海軍はそもそも弾着観測機の流れから欧州でもそのまま海軍所属だったので空軍の母体とはなりえず、陸軍は支援兵器としての航空隊を手元から逃したがらない状況で航空隊側も確固たる発言権を持てなかったので空軍として独立しないまま第二次世界大戦に突入したのです
その為、発言権を得て米国で空軍が誕生したのは1947年、第二次世界大戦の戦略爆撃でやっと発言権を得たと言った所でしょうか、日本はそのまま戦争に負けて軍自体が解体されたのでとうとう空軍は誕生できませんでした、1954年航空自衛隊ができたのが日本における航空機を扱う専門軍種の初の誕生となるわけです