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2022/5/19 19:44

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中3です。 今国語で漢文を習っているのですが、今日学年1位の子が先生に「なんで漢文って習うんですか?」 と聞いたら 「漢文は今の日本にも繋がることがあって、読んだらあーなるほどーとか、共感出来ることがある

文学、古典 | 日本語3,115閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">100

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この質問は、毎年知恵袋に投稿されます。 その時の回答を貼っておきます。 二人の別の人に解答したものを合わせて貼りますので、 重複などあるかもしれませんが、参考にしてください。 ○古典の必要性について 個人のアイデンティは記憶によって得られます。 記憶喪失になったら、私は誰?ここは何処? という状態で、自分がわかりません。 日本人としてのアイデンティをもたらす、 個人の記憶に相当する、日本人としての記憶が、 古典と日本史の教養です。 国際性には語学力があった方が良いのは当然ですが、 語学力があったとして、何を話すか、内容が重要です。 英語ができても、くだらない話しかできなければ、 国際性以前の問題になります。 よく、外国に行ってはじめて日本のことがわかると言われます。 それは、日本人同士では 「日本ってどういう国?日本人ってどういう民族?」 とは聞かれないからです。でも外国人には聞かれます。 それではじめて日本について知ろうとする人も多いわけです。 そのとき学ぶべきものが古典と日本史です。 五千円札にのってる新渡戸稲造は、 アメリカで「武士道」という本を出版して日本文化を 海外の人に紹介しました。 「武士道」は、アメリカの大統領など 著名な欧米人に感銘を与えたということです。 新渡戸稲造が「武士道」を書けたのは、 古典の教養があったからです。 これが本当の意味での国際性ということでしょう。 日本人は、古来、政治・哲学・宗教・医学・数学・農業など あらゆる分野で漢文を使ってきました。 日本文化は、古文と漢文の両輪で形成されてきました。 明治維新では吉田松陰が「孟子」の思想をもとに弟子たちを教育し、 高杉晋作などを育てています。 「孟子」と水戸藩の国学が明治維新の思想的原動力の両輪でした。 漢文の文化が無ければ明治維新も 近代日本もなかったかもしれません。 さらに、第二次世界大戦終戦まで漢文訓読調の文章が普通でした。 明治憲法も、終戦の詔勅も、漢文訓読調で書かれています。 夏目漱石の文章は漢籍の語彙が沢山使われています。 これらは漢文を習っていれば簡単に読めますが、 漢文を知らないと読めません。 漢文を習っていないと、わずか70年ほど前の文章も 読めないということになります。 ○現在の教育方針について。 思考力・応用力は料理でいえば技法・技量に相当します。 暗記によって得た知識は料理の素材です。 暗記によって知識という素材を仕入れなければ、 思考力も応用力も意味がありません。 論語に孔子の 「学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、 思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。」 という言葉があります。 勉強して知識を得ても自分で考えなければ暗愚だし、 自分で考えても知識が無ければ危うい。」 という意味です。 知識と思考力は両方必要なものです。 知識が何もなければ思考することはできません。 ノーベル賞受賞者を輩出してきたユダヤ人は トーラーというユダヤ教の経典を暗記します。 イスラム教徒はコーランを暗記します。 中国人は、共産化以前は論語などを暗記しました。 古典の暗記によって優れた知性が育つのです。 頭の良さは暗記力と不可分です。 イギリスでは、小学生がシェイクスピアを勉強するそうです。 シェイクスピアは徳川家康と同時代の人で、 その作品の英文は、いわば英語の古文です。 シェイクスピアを知らない・読めないイギリス人というのは、 やはりちょっと残念な人です。 古文漢文を知らない・読めない日本人というのは、 そういうちょっと残念な人だと思います。 聖書は古典ギリシャ語やラテン語で書かれていました。 ですから昔のヨーロッパでは、宗教や哲学や自然科学などの学問をやるには ギリシャ語やラテン語が必須でした。 それで、いまでもヨーロッパの学校ではラテン語を学びます。 ヨーロッパにおけるラテン語や古典ギリシャ語は 日本を含むアジア文化圏での漢文に相当します。 日本人が古文を学ぶのは、イギリス人がシェイクスピアを学ぶのと同じだし、 漢文を学ぶのはヨーロッパ人がラテン語を学ぶのと同じです。 洋の東西を問わず、古典を暗記させるというのは ずっと行われてきた教育方法で、 そこから優れた知性を持った人物が育ってきました。 1980年代から、日本では、 暗記を詰め込み教育といって悪者にし、 ゆとり教育をおこないましたが、結果は、 ゆとり世代を生み出しただけで失敗でした。 思考力や応用力を鍛えるというのは、 暗記による基礎が確立してからの話しであって、 基礎をおろそかにして思考力だ応用力だといっても、 ゆとり世代の失敗を繰り返すだけです。 ○国語科というものについて 古文は昔の日本語です。 漢文は、白文は古代の大陸でうまれた外国語だけれど、 書き下し文は古文で日本語です。 漢文を書き下して読むということは 頭の中で直接日本語に翻訳し読んでいるということです。 だから古文漢文も国語であることは当たりまえです。 >昔の人が、恋愛とか、歌合せしているところで、どこがアイデンティティを支えているのでしょうか? 昔の日本人は、そういう人たちだった。そういう文化だった。 というのが日本人としての記憶であって、アイデンティティを支えるんですよ。 平安時代というのは、そういう雅な王朝文化だったんだということです。 それが、時代と共に武家社会になったり、町人文化が栄えたりと 変化していきます。それを知ることが、日本を知ることです。 ただし、それらを全部、原文で読めというのではありません。 内容の大部分は、将来、興味があれば訳本で学べばよい というのはその通りです。 高校までの古典教育は、とにかく、 古文・漢文とはどういうものか、そのさわりの部分、 ほんの入門程度のことは知っておこうというものです。 高校でやってる古文漢文は、大学の専門課程でやってることからすれば、 ほんの初歩の初歩です。 一応、古文漢文というものは、どういうものか、 初歩の初歩くらいは知っておいて、 そのほかは、興味があれば訳本で勉強してね。 というのが高校までの教育です。 アイデンティティは、古典の内容だけで 支えられるのではありません。 むしろ、言語そのものの方が強力です。 民族が征服されたとき、支配される民族は、 支配者から言語と信仰と歴史教育を取り上げられるというのは、 過去のことだけではなく、現実に、いまも 隣の某国で行われていることです。 言語と信仰と歴史を取り上げることで征服が完成するのです。 そのくらいアイデンティティには言語と信仰と歴史が重要なのです。 日本も、戦争に負けてアメリカに占領され、 GHQと共産主義の影響で、天皇を中心とした神道の信仰を かなり奪われました。 武道も禁止されかけたそうです。 歴史教育は日教組などの左翼思想によって かなりゆがめられています。 日本語も、公用語を英語にしてしまえとか、 ローマ字表記にしようというような運動があったそうです。 でも、幸いに言語は奪われませんでした。 このように、アイデンティティとしての文化の中では、 言語と信仰と歴史は特に重要なものです。 ですから、祭りは言語と同列で大事ですが、 寿司は日本文化であっても祭り・言語と同列ではありません。 美術史も同様です。それはそれで大事ですし、 専門家もいますが、言語と信仰ほど重要ではありません。 ただ、芸術は信仰と結びつきやすいので、 そういう意味では寿司よりも重要度が高いと思います。 言語が重要だからと言って、 万葉仮名のようなものまでは求めません。 古典文法は、現代でも短歌や俳句で普通に使われています。 また、およそ70年前の終戦の詔勅は漢文訓読調の文章です。 このように、ほんの70年前まで普通に読み書きしていた文章や、 今現在、多くの人が趣味でやっている短歌・俳句が、 古文漢文の素養が無いと読めなくなってしまうのです。 高校でちょっとでも習っておけば、 プレバトを見て俳句を作ろうかなと思ったときにも、 全く何も知らないよりもハードルが低いでしょう。 また、例えば将来、第二次世界大戦とは何だったのか、 というようなことに興味が出てきたとき、 戦前戦中の文書も読めるということになります。 もし、高校で古文漢文の教科がなくなれば、 こういう日常、当然のこととして接していた 伝統文化が失われるでしょう。 高校で学ぶ古文漢文は、専門的な高度なことではなく、 まだまだ身近にある伝統文化を保つための、 ごく初歩的なレベルのものなのです。

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日本は文学も政治も経済も、1853年にアメリカのペリーが来航するまでは中国の影響を大いに受けていました。 というか、中国がこの世の中心。領土の広さも、経済力も、文化もかなわず、すべて中国様を真似することが日本にとって大事なことでした。 今のアメリカよりも影響がでかいと考えたほうがいいかもしれません。 なので、文学も中国の影響を大いに受けていましたし、1900年前後に言文一致運動という「話し言葉と書き言葉を一緒にする運動」が起こるまでは、文章表現は漢詩や漢文で情報伝達するのが普通でした。 だから漢文を学ぶというのは、日本の文学や歴史、そして文化を学ぶことと同じです。 昔の人がどんな形の文章をどんな風に読んでいたのかを知るのが漢文の授業ですが、それって、昔の人のやっていたことを実際に体験して昔を知るということで、それは西洋風の歴史学(今の地点から過去の行いを客観的に観察する)にはない魅力だと思います。

司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」を読むと、陸軍の旅順攻略戦の大将乃木希典が漢詩を自分で作り、読む場面が多く登場します。 坂の上の雲は日露戦争の出来事(1904年)なのでそんな最近になっても漢詩を芸術作品として創作する人が多いくらい影響としては大きなものなんですね。

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日本の古典として学ぶのだと理解しています。いわゆる古文は、むしろおまけであって、漢文こそが主です。

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私も当時は分かりませんでした。大人になってからふと「あぁ習ってよかったな」と思う瞬間が訪れました。 中学生とのことで、もしかしたら質問者さんやご友人は漢文を習ったことが何の得にもならない人生を歩まれるかもしれませんが、中学生に対して言えることは、「今カリキュラムの中にあるものすら真摯に学べない者は、豊かな人生を歩むチャンスを逃し続ける」ということです。 なぜ学ぶのかの答えは、十人十色です。 漢文を学ぶというより、漢文で学ぶと思って向き合うと、あなたなりの答えに少し早くたどり着けるかもしれません。 学ばないことの免罪符を手に入れるために揚げ足を取ろうとしているのでなければ、疑問をまっすぐに先生にぶつける気概があるのはたいへんよろしいと思います。先生も、逃げずにわかりやすい言葉を使ってちゃんと答えてくれる素晴らしい先生だと思います。

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