福岡県の筑後川の鵜飼が3年ぶりに再開されるそうです。 「古事記」や「隋書」にも記載される、日本の伝統漁法、大変すばらしいことだと思います。
福岡県の筑後川の鵜飼が3年ぶりに再開されるそうです。 「古事記」や「隋書」にも記載される、日本の伝統漁法、大変すばらしいことだと思います。 添付画像は、「装飾古墳の世界」編集:国立歴史民族博物館、発行:朝日新聞社 1993年から抜粋した、うきは市にある珍敷塚古墳の装飾画です。 この本は、徳島県阿南市生まれの姉(元、古墳女子)から、20年前に貰いました。 でも、目の悪い私は、パラパラとめくっただけで、邪馬台国の時代とは関係がないので、押入れにしていました。 最近、この本を観て、ビックリです。 なんと、この画像を再現したのは、徳島県生まれの日下八光(くさか・はっこう)先生(東京芸術大学名誉教授)だと初めて知り、地元フアンとして感動しました! そこで、お伺いします。 添付画像のA部の鳥居のようなものは何でしょうか? この船は、オールの形状からして、小舟であり、鳥は外洋船の大烏ではなく、鵜飼の鵜であると判断しましたが、 このA部を私が松明置きとするのは、何かこじつけのように思うのです。 私は真面目ですから、何時も、素直に自分の考えに間違いは無いかを問いかけています。 もし、違うヒントがあれば、それを足がかりに前進できるからです。 素直にご協力願えたら幸いです。 珍敷塚古墳(6世紀)は屋形古墳群の1つで、他に原古墳(6世紀)、鳥船塚古墳(6世紀後半)、古畑古墳(6世紀後半)があり、原古墳には大型船やオールの絵、鳥船塚古墳の絵は大型船のようにも観えますが、鵜?が2匹、漕ぎ手が1人で小舟?のオールを以っています。 鳥船塚古墳の絵にも、添付画像のA部と同じものがあり、珍敷塚古墳と原古墳の絵をミックスした絵のように観えます。 考古学会からは、添付画像のA部は帆ではないかと解釈されているようです? 外洋船なら、鳥は大ガラスでも良いのですが、葬儀船の場合は、鵜の方が相応しいと思うのです。 素人の私は、屋形古墳群の北には、「うきぁは」と呼ばれる淡水湖(あは:淡海)があり、ここで、鵜漁(うき)が行われていたと思うのです。 ここが「隋書」が云う鵜飼が居た場所とは限らず、久留米市の北の三井郡地域にあった巨大な汽水湖では広く、鵜飼が行われていたのではないかと思うのです。 ともあれ、添付画像のA部を外洋船の帆ではなく、鵜飼が使う小舟だと考えて、ヒントを頂けたら幸いです。 尚、前回、私の鵜飼の質問で、筑後川と関係すると回答された方がいましたが、これに対し、どうも筑後川では無いような気がしますと回答しました。(御免なさい、訂正します。) これは、珍敷塚古墳の装飾画を、熊本県菊池川流域の装飾画と間違って覚えていたカラスです。
色々、ネットで調べてみましたけど、このA部は実用的なものでは無く、被葬者を冥土に送る舟飾り(鳥居)だと思います。 長良川では小型の鵜飼舟でも、帆船があったようですが、この地域では、年に1度は鵜飼の神事が行われ、この時だけ舟に立てられた赤く塗られた鳥居ではないでしょうか? この光景が御魂を冥土へ運ぶ装飾画として描かれているのだと思います。? 他に、御考えがあれば、回答頂けたら幸いです。
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