三十年戦争の宗教面背景に、宗教改革で新教(プロテスタント)・旧教(カトリック)の諸侯が対立→アウクスブルクの和議、と授業プリントに書いてあるのですがなぜそこでアウクスブルクの和議が出てくるのか分かりません(

補足

このプロテスタントはカルヴァン派でアウクスブルクの和議で承認されたのはルター派のみだったからカルヴァン派も承認してほしい!という感じで起こったのでしょうか?

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆さんの回答に共通する「個人の自由が認められなかった」でピンと来ました!皆さんのとてもわかり易かったので迷いましたが参考と疑問に思っていたベーメンの説明も入れてくださったのでベストアンサーにさせていただきます☺️ほんとにありがとうございました!

お礼日時:5/22 22:36

その他の回答(2件)

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アウクスブルクの和議では、 ① カトリックとルター派の和議だった ② 個人の信仰の(選択の)自由は認められなかった ③ カトリックかルター派かの信仰の選択は都市や領主が決定する 従って、これらでは、 ① 個人の信仰の自由が認められなかった ② カルヴァン派(および他派、他宗教)が除外されていた という点において禍根を残し、三十年戦争の契機ともなった。

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あなたが補足で書かれている部分はあります。 それとアウグスブルグの和議ではその地域において旧教か新教のどちらを取るかはそこの領主の考えによって決まるとされました。その不十分な部分が戦争の要因になりました。

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