宗教戦争と仏教について キリスト教、イスラム教などの宗教戦争はありますが 仏教が問題となった宗教戦争は聞きません。 これは、仏教が、キリスト教やイスラム教のように一神教ではなく

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ご回答いただいた皆様、ありがとうございました(*‘∀‘) 仏教にも様々な宗派がありますが、世俗のこと、政治的なこと、社会的なことに意見を表明したら、ましてや、宗派が違うからって戦ったら、それはもはやお釈迦様の教えとは異なるのでは?と個人的に思っています。 そういう私にとって一番シックリきた回答をされたetoさんをBAに選ばせていただきました。

お礼日時:5/29 13:14

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それは一神教かどうかというよりも、教義上の問題です。 キリスト教とイスラム教の共通の聖典である旧約聖書では、 信者に対して神はこういわれています。 主はこういわれる、「あなたがたは、おのおの腰につるぎを帯び、宿営の中を門から門へ行き巡って、おのおのその兄弟、その友、その隣人を殺せ」(出エジプト記) その兄弟……というのは、異端の人の兄弟、友、隣人のことです。 https://true-buddhism.com/religion/christianity/#ch03 それに対して仏教では不殺生戒があるので、当然人を殺してはいけません。 このように、教義に従おうとすれば キリスト教、イスラム教などは戦争になりますし、 仏教の場合は戦争は不可能です。 例えば比叡山の僧兵が、もし「私は仏教を信じています」と言って人を殺したとすれば、その人は仏教を信じているとはいえないでしょう。 ただ形だけ僧みたいな格好をしているだけで心は仏教ではありません。 このように、教えの違いから、 真面目に信じている人ほど キリスト教、イスラム教では戦争になり、 仏教では戦争はできなくなります。

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簡潔に言えばですが、より高度な宗教になればなるほど、暴力の問題を起こしにくくなっていくのです。 一神教は自らを善、正義とし、不幸をもたらしていると思われる外の敵に向けてアクションしていく傾向にあります。それで自ずと争いが大きくなってしまうのです。最終的には神の軍勢と、悪魔の軍勢の避けては通れない血で血を洗う戦いです。聖戦が大義となり、あらゆる暴力が神の名の元に正当化されてしまうわけです。文明が発達すればするほど悲惨な争いを引き起こしていくのです。 一方で、仏教は自らの内面の悪、不幸の原因を克服するという内向きの傾向性なのです。自省、自制の宗教です。 仏教の中でも個人的、内向きの傾向の信仰で終わってしまっていて、外の世界と没交渉というものもありますが、より優れた仏教の教えになるほど、自らの内面の悪の克服から、外の世界への積極的な働きかけ(他者の中にある悪を打ち破っていく。それも暴力によらない、平和的な対話を中心としたものです)が促されていきます。 宗教は人間がより幸福に生きられるようになるために生み出してきた一種の道具です。 同じように見えるものでも道具にはそれぞれに性能の違いがあるわけです。 誰がどんな道具を手に取り、使っても自由ですが、結果は性能によって歴然とした差がつくのです。この結果というのはどれだけ幸福な人生をその人自身が送れるか、どれだけの人の幸福に貢献できるか、より平和で、理想的な世界を現実の上に創出することができるかということです。 宗教には人類の幸福、世界の平和の命運を根本的な次元から左右するだけの力があります。 インターネットの発達などにより、個々の人間の影響力が強くなればなるほど、また人類が世界や地球に及ぼす影響が強くなればなるほど、より優れた宗教を用いなければ幸福も平和もたちどころに破綻をきたすことになるでしょう。現に今の世界は非常に危うい状況に陥り始めています。 人間の活動の様々な次元に様々な問題があるように思えますが、実は根本的には宗教の問題なのです。 人間は宗教を持たないことはできず、より優れた宗教を選び取り実践する事しかできない存在です。意識的にしろ、無意識的にしろ、誰もが何かを信仰して生きています。 ですから、個々人がより幸福に生きるためにはより良い宗教を探求し、積極的に実践していかなくてはなりません。 日本人はこの点、非常に遅れています。宗教と聞いただけでネガティブに反応し、避けてゆこうとするような状態の人が非常に多く、宗教の重要性を理解し、優れた宗教を探求しようというレベルにはまだまだ平均としては程遠いと思われます。 トルストイの言葉に 「特定の宗教を信仰しないという人の宗教は、既成権力に追従するという宗教である」(『わが信仰はいずれにありや』) というようなものがありますが、無宗教を称する宗教を否定しているような人たちが陥っている信仰とは自らが所属している国、社会で最有力である権力に盲目的に付き従うことを良しとする宗教であり、信仰なのです。 日本の現状は上記のようなものですが、世界を見渡せば、キリスト教も、イスラム教も世界中に広まったらどうなるかという結果はすでに出ています。争いは絶えることがなく、理想的な平和も人類の幸福も築くことはできなかったのです。既存の仏教も世界中の争いを止めるだけの力は発揮できないということが分かりました。 次は、仏教の中のもっとも高度な教えが広まったら世界は、人類はどうなるかです。新たな時代を幸福、平和へとリードする新たな力を持った宗教が求められているのです。そこに現代の世界の希望があるわけです。

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>仏教が問題となった宗教戦争は聞きません 日本史の授業を真面目に聞かなかったな。 奈良仏教の興福寺と、平安仏教の天台宗は仲が悪かった。また天台宗の中でも、比叡山と三井・円城寺派とでは、互いの寺を焼き討ちを繰り返すほど仲が悪かった。真言宗の中でも高野山と根来寺とが対立していた。だから「僧兵」が生まれたんだよ。 鎌倉仏教の禅宗も長らく迫害を受けた。しかし室町時代になると幕府が臨済宗を保護するようになった。すると、同じ禅宗の曹洞宗の寺を、幕府が焼き討ちするということも起こった。 室町末期には日蓮宗が一向宗の寺院を焼き討ちし、京都の権益を手に入れた。日蓮宗はさらに天台宗に論争を持ちかけて勝利を宣伝した。すると、天台宗の僧兵たちが京都の日蓮宗寺院のほとんどを焼き討ちにした。このときの被害は応仁の乱に匹敵すると言われた。 だから、織田信長・豊臣秀吉が徹底的に「政治から宗教を排除する」ということを行った。そうやっておとなしくなった宗教勢力を、徳川幕府は体制の中に組み込み、幕府の監視のもとに置いた。政治が宗教を監視するようになったわけだ。 他の宗教を否定しない?アホかって感じだ。

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実は宗教戦争って非常に曖昧な定義なんで。一般的に宗教戦争としてイメージしやすい十字軍や三十年戦争でさえ、宗教がメインの理由かっていうとそんなことはなく、政治権力者の主導権争いであるわけだし。宗教は単なる口実のひとつでしかない。 ということを前提にして、少なくとも一向一揆や比叡山焼き討ちは仏教が絡んだ戦争と言って良いのではと思う。 初期のキリスト教は実際のところかなり包摂的(いい加減、と言っても良い)なので、「一神教だから」という先入観はあまり当てにならないよ。

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