昔の人(弥生時代~戦国時代)は日本語と外国語の通訳では、お互いどのようにして会話の内容を理解したのですか? そして、どこの国が先に通訳をしたのですか?

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古代日本では百済人との交渉に通訳がいたような記録がありません。 当時の日本語と百済語は方言程度の違いしかなかったと言う説があります。

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弥生時代から北九州と朝鮮半島南部は活発に交流していたようですから、日朝のバイリンガルは沢山いたと思います。外来人の一部は朝廷の幹部に取り立てられた。朝鮮には朝中のバイリンガルがいたはずです。当時の外国語は中国、朝鮮で充分で他の言語の必要性はなかったでしょう。日本に仏教が伝来した後は主に仏僧が日中の通訳(あるいは筆談)をした。 戦国後期にスペインやポルトガルの宣教師が来た時は、東南アジアに渡った日本人を教育し、自らも日本語を学んだ上で来日してます。(ポルトガルのルイスフロイスと、インドのゴアで出会った日本人ヤジロウの関係) 鎖国前のアジアには各地に日本人の商人や漁民がおり、ヨーロッパ人は彼らを日本語教師、あるいは通訳として使ったようです。

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今でも長期に滞在した人は、その地の日常会話を身に着けます。 2世代目以降になると、バイリンガル世代が誕生します。 文字知識も同様です。交易があれば、文字は確実に日本入っています。特に渡来人社会では当然でした。 「どこの国が先に通訳」 規模は別にして、縄文時代から交流がありましたから何とも言えません。ただ弥生時代にはすでにバイリンガルが誕生していたでしょう。 熊本県宇土市の貝塚の土器を標式とする縄文前期土器が海を越えて種子島や屋久島、さらに対馬海峡を越えて韓国慶尚南道でも発見されています。そのあとの縄文土器も分布はさらに広く、西は釜山の貝塚から、南は沖縄本島で出土しています。

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弥生時代晩期の日本を記述した三国志魏志30東夷伝には、朝鮮半島南部で倭人が交易していたことが記されています。弥生時代には国境や入国管理などがあるはずがなく、人が行き来していました。当然、互いの言葉を解する人間はそこそこいて、通訳していたでしょう。 邪馬台国は魏と外交文書のやり取りをしており、当時の倭人の中には、会話以外の公式な漢語を習得していた者もいたことになります。

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