ベストアンサー
①一般に「槍」と言われるものは、大きく「2種類」に分かれることはご存じでしょうか? 質問にある「足軽の槍」というのは、そのうち、バカ長い方、織田信長が「三間槍」という5.46mもの長さのものを採用したと言われていて、別名「長柄」と言われる武器のことだと思います。 「長柄」は下級武士(足軽)」の武器で、というか、足軽以下の「長柄持ち」という階層があったことでも知られていて、これらには「農民」からの動員兵も含まれたと考えられています。 これだけ長いと、「細かい操作」は不可能なので、「槍衾」=隊列を組んで隙間なく前方に突き出す、とか、振り下ろしてぶっ叩く、みたいな単純な動作の戦闘をしたと思われます。 そうなると「同じ長さ」というのが絶対条件とも言えるので、通常は「大名」が用意して、動員した兵士に使わせるのが普通だったようです。 これに対して「武士」階級が使う「突き刺す」戦い方をする槍は「持鑓」などと呼ばれ、長さも2m前後で、形式も様々です。 というのも、これらは「個人の武器」だから、それぞれに工夫がある訳です。 こういうのの名残は、「元武士」を標榜する旧家などには、いまだに「欄間」などに「槍掛け」が残っていたり、場合によっては「持鑓」が許可の範囲内(穂先が外してあるとか)ながら飾ってあったりします。 対して「長柄」はほとんど残っていません。 なまじ「公」の、大名の管理だっただけに、財政難などの中で処分されてしまったらしく、有名な所では彦根城にわずかに残っているくらい、それも「柄」を取り外した「槍先」だけで保存されているのが多いようです。 ②については、農民がわざわざ「刀匠」に依頼するか?みたいな部分は別として、普通に可能だったと思われます。 俗に言う「刀狩り」は、要するに「農民の武器所有を”自粛”させ、公然とした帯刀を禁止」するだけで、「所有」は大幅に許されていた、というのが最近の「定説」でもあります。 事実として、「現代」に至るまで、農民は普通に「刀剣」を所有していた、だから「第二次大戦」では、多くの軍人は当たり前のように「家伝の刀」を軍刀あつらえに直して持って行った訳です。 長く農民と記録されている我が家でも、爺ちゃんは「家の刀」を持って行ったし、「昭和新刀」を購入することは結構「恥ずかしいこと」だったそうですから、「それが当たり前」でもあったんです。 そういう点では、日本における”真の刀狩り”とは、昭和21年の進駐軍による「銃砲等所持禁止令」だった、とも言われているんです。 それまでは、日本の「何世代か続く家」には「当たり前に刀はある」訳です。 一例として、「時代劇」を考えてもらえばいいですが、「日常」では遠慮があるものの、「旅行」などの際には「護身刀」を持っていくことの方がむしろ常識な訳です。 「水戸黄門」でも、助さん格さんは「帯刀」していますよね、ただ、「非武士階級」として普通は「1本」のみで、場合によっては「ええい、静まれ静まれぃ!」という段階で「二本差し」に改めたりします。 まさに違いはこの「二本差し」をしていいか?なんで、「1本」ならば「渡世人」「博打打ち」でもいい訳です、「木枯し紋次郎」なんてそうでしょう? だから、正直、「鍛冶師に依頼する」というシステムだったか?はわかりませんが、「農民が刀を買う」ことなら当たり前にできた、ということです。
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