純文学の面白さとは何でしょうか?また純文学が表現しようとしているものとは何なのでしょうか?

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純文学は深さを追求し、大衆文学は面白さを追求します。 生きるべきか死すべきかと、一日中そこに立ち止って考えていたのでは、ストーリーとして面白いはずもありません。しかしその思考に深さを求めるなら一日中立ち止まって考えている必要があります。それが純文学です。純文学に面白さを求めるなら、ストーリーによる目先の変化というような面白さではなく、問題をひたすら掘り下げることによって得られる醍醐味を求めるべきです。 文章に関しては、純文学は表現できないものを表現しようという試みであり、大衆文学は表現できるものを表現する営みであると言えます。したがって純文学の文章はそれなりにわかりにくかったり読みにくかったりした文章となる傾向が必然とります。たとえて言えば、大衆文学を書くのは大工が家を建てるようなもので、手慣れたものだかそれ以上のものではない。純文学は設計士が一から図面を起こして書くようなものです。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

長文で丁寧な回答ありがとうございます。ストーリー展開ではなく、人の心理の深いところを描くというところ、「檸檬」を例にわかりやすく説いていただきました。  

お礼日時:6/28 9:45

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