今回もドイツ文字の判読について、教えていただきたく、質問しています。

画像

ドイツ語187閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">250

ベストアンサー

0

genshimiko2さん、 >女たちが遠くから、虐殺に近い激戦を目撃している光景では >1語に見えるeinheulen は ein Heulen >で、nichts als ein Heulen und Klagen で意味が通るかと。 この件についてはわたしは nichts als einbeulen und tragen と読みました。300人からの捕虜を処刑するわけですから「ボコっとへこませて (=ボコって)」=einbeulen、「(死体を)運んでいって」=tragenと感情の入る余地もなくきわめて機械的(?!)に「処理」していったと読みました。 このくだりもう一度画像を見て確認したいのですが、何度さがしても見つけることができません。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

今回もほんとにありがとうございました。 印刷会社、印刷方法(石版印刷)、作画方法(切り絵)、作画者名だったのですね。欄外に書かれていたこととも合致します。 フライブルグでもヘーゲはノートゲルトを作成しているのですね。彼の最初の作品はナウムブルグのフスチェリーフェスティバルで、随分と人気が出たそうです。ありがとうございました。

お礼日時:6/29 23:48

その他の回答(1件)

1

mas*******さん、どうもご無沙汰です。 今月いっぱいの退去のため(近隣ですが引っ越します)波はありますが、急に処理がきつくなったりしています。 で、もうあのあと解決されたかもしれませんが、 不明のまま残っていたかと思われるところ、sektorengrenze61さんには伝えておきました。 以下のようなことです。 ◆ Godに見えた、あれは数字で300 あのフランケンハウゼンでの戦いでは農民側6000人中5000人が戦死。 600人が逮捕。300人が処刑。その300人。 ◆ 女たちが遠くから、虐殺に近い激戦を目撃している光景では 1語に見えるeinheulen は ein Heulen で、nichts als ein Heulen und Klagen で意味が通るかと。 ◆ Pfeiffer の聖母マリア教会での演説では ein ander(es)と見えるところは、ハイフンもないのに、実は1語で einander=zusammen なら意味がすっきりするかと。 この教会は名前が示す通りカトリックですから、礼拝のあとのということよりも、別のことではないかと。 Bierrufer というテューリンゲン独特かどうかはわかりませんが、いまでもそれはビールの、あれこれを、あるいは、特定の醸造所のできたての「新しいビール」を喧伝するという仕事の行為(Publik machen)をするひとが当時からいて、台の上に登って、みなさん!よってらっしゃい、飲んでらっしゃいのような呼びかけをする。そのひとが、Bierrufer で、お立ち台のようなものに乗っているのが stein 。なので絵をみると、一段高い位置にいるとうかがえる。 そして、比喩にはちがいないのでしょうが、「一緒に(新しい)ビールを」告知しよう(verkündigen)=古い体制を壊そう=一緒に戦おう! ということではないかと。 現在の、Bierrufer という言葉が見える例では、いろいろありましたが、例えば https://bierrufer.com/der-bierrufer/ と言う感じにとらえております。 ---------------- これより数日間、合間をみながら考えます。下の処だけでなく、全体を。ただ手書きのところは、ちょっと考えてもすぐにはわかりそうにありません。 時折頭を冷やして、先入観をとりはらってみると、わかったりするもので、また少し日数をください。 いきなりひらめいてしまうかもしれませんが。 ------------------

画像

1人がナイス!しています

genshimiko2さん いろいろとご検討ありがとうございました。 300人の件、数字文字もそのとおりですね。このノートゲルトは第5番目のものだったことが、ノートゲルトの右肩の文字で分かりました。「敗北した残りの農民は嘆き悲しんで街に駆け込んだが、敵の戦闘員も駆け込み、殺害は続いた」は右肩の文字で4番目、「・・・ミュンツァーが発見され、尋問される」が右肩の文字で6番目になっているので、ミュンツァーの処刑ではなく、生き残って街に駆け込んだ農民の処刑だろうとみていました。文献では生存者のうち約600人が捕虜となり、そのうち300人がフランケンハウゼン市長室の前で直ちに処刑されたとのこと。また、ミュンツァーが意気地なしで卑怯だったという説に対して、マンフレート・ベンジング田中真造訳の「トーマス・ミュンツアー」では「撤回文」が偽造だった可能性と彼の偉大性を矮小化した作り話が多いと書かれています。

画像