では、義信によるクーデターが、1565年の1月に成功したと想定して考えます。
この時点での今川は、徳川家康の独立により、三河を完全に失っています。さらに井伊直親を暗殺し、浜松(曳馬)の飯尾氏は反乱を起こして、西遠江は混乱の極みです。
武田家は、西上野攻略戦の真っ最中ですが、カリスマである武田信玄の追放により、ここも混乱の極みとなるでしょう。
なぜなら、武田家の中枢と言える武将は、幼い頃から信玄の側で教えを受け、成長した武将が多いからです。
代表的な人物は、
◯高坂昌信(農民の子であったが、信玄により引き立てらてた。)
◯内藤昌秀(謀反人の息子であったが、信玄に許され、名門の内藤家を復活させた)
◯山県昌景(当時は飯富三郎兵衛尉、普通は長男の影に埋もれるはずの次男でありながら、信玄により大抜擢。義信事件の際には、兄の虎昌ではなく信玄につく)
◯馬場信春(地方の武士ながら、譜代家老として抜擢)
◯真田昌幸(当時は武藤喜兵衛。人質でありながら、武田一族の武藤家の養子にして大抜擢。)
などです。
彼らはすんなりと義信につくとは思えず、武田家中は大混乱となるでしょう。信玄が処刑ではなく、追放や幽閉ならば、信玄を救出して再び義信と対決しかねません。
その結果、武田は著しく弱体化します。
そして北信濃は上杉の侵攻を受けます。
さらに、今川は独力で徳川を抑えられるわけもなく、史実よりも遅くなりますが徳川の侵攻を受けるでしょう。
こうして、三国同盟は以前ほど機能しなくなり、史実よりも上杉の勢力は大きく増します。
その皺寄せは、北条も受けることとなります。
このように上杉、武田、今川、徳川などの動きが史実とかけ離れた結果、様々な要因を受けて起きた本能寺の変が起きるわけがありません(別の反乱が起きるかもしれませんが)。
この後、織田と上杉との関係が上手く続けば、東国は上杉と徳川に任せて信長は西へと進むでしょう。
そして、いつかは旧勢力の代表格となる上杉謙信と、新興勢力の代表といえる信長による戦いに発展すると思います。
◯まとめとして
義信によるクーデターが成功した場合、三国同盟は継続するものの、軍事的に弱体化する可能性が高いと思います。
弱体化した三国同盟に対し、信長は史実のように上杉との同盟で対抗すれば、問題ないでしょう。
その結果、徳川の成長は鈍化し、逆に上杉が拡大します。
そして、いつか織田信長と上杉謙信による決戦が起きるでしょう。