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2022/6/26 21:18

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日本軍は零戦や隼、戦艦は大和や武蔵、大砲や小銃 も優れた兵器を開発してますね 戦闘機や軍艦は世界一の物を作ったのに なんで戦車だけはブリキの戦車なんて呼ばれる 物しか作れなかったんですか?

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89式中戦車 1929年に開発。当時は世界最高の戦車の一つで、当時世界の主力だったFT17の主砲弾を跳ね返し、射程500mで貫通可能な主砲を装備 95式軽戦車 1935年に開発。当時は世界最高の戦車の一つで、当時世界の主力だったFT17の主砲弾を跳ね返し、射程500mで貫通可能な主砲を装備 97式中戦車(チハ) 1937年に開発。当時世界の主力だった37mm弾を跳ね返し、射程500mで敵の戦車を貫通可能な主砲を装備 オイ車 1940年に試作。当時世界最高厚の装甲を装備。サスペンションと履帯のバランスが悪く実用化しなかった 97式中戦車新砲塔(新チハ) 車体は1937年に開発し1941年に新型の主砲に換装。1941年の東洋では最高クラスの性能。但しヨーロッパ戦線ではKV1やT34、ティーガーが登場していた 4式中戦車(チト) 1944年に試作。当初は次世代主砲として57mm長砲身で研究していたが、世界が75mm砲になっている事に気付いて急遽、75mm戦車砲の開発を開始した。1944年では世界水準の中戦車 3式中戦車(チヌ) 1944年に開発。世界が75mm砲時代になっていて、対日戦にもシャーマンなどの75mm砲戦車が投入されてきたため、チハをベースに九〇式野砲(75mm砲)を搭載した。僅か半年で完成。 戦車1両の生産費用で隼戦闘機が6機ほど作れます 海洋国家としては戦車よりも戦闘機の方が重要なので、新型戦車の開発は遅延する事になります オイの開発失敗直後に岡田資が相模原の研究所から新説された第2戦車師団の師団長として転出したけど、後任の所長がいなかった(後に後輩の原が就任する)事も大きいかと思われます 岡田は1年足らずで東海軍の軍需部長(その後に司令官に昇進)として愛知や静岡にあった戦車工場の生産管理を行っています

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それを言ったら、零戦や隼も機体の後半は木や布製です。又、大和や武蔵もこけおどしで、海軍の将官達のオモチャでした。(大和ホテルと揶揄されています。)軍艦としては、重巡洋艦が限界で、20cm砲で充分だったのです。海戦で砲弾を命中出来るのは15000m前後までです。 当時の日本の技術では、高性能のエンジンを量産出来ませんでしたし、ゴム製品やベアリング、バネなども質の悪いものしかつくれませんでした。つまり、装甲の厚い戦車を作っても、動かすエンジンを供給出来なかったのです。 ※ 参考に、大戦初期、日本軍がフィリピンのコレヒドール要塞を攻撃した時、日本軍は火炎放射器を使っていましたが、直ぐに使える燃料が調達できなくなり、南洋諸島の防衛戦で、対戦車兵器として使えなかったのです。

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日本軍は戦車を歩兵支援用として開発していたというのが一点、次に日本国内やアジアの戦場で用いられることが前提のため、脆弱な道路事情や橋梁事情を考慮し常に戦車の重量を軽くしようとしていたということがもう一点の理由としてあげられると思います。 輸送船や港湾の能力が低くて重い戦車は使えなかったのだ、と述懐する当時の関係者もいたようです。 実際、三式中戦車までの日本の戦車は皆20tもありませんからね。 対戦車用に作られた四式中戦車が30tだったことを見ても、対戦車戦闘用の戦車を作ろうとすれば重くなるということがわかります。 もちろん工業化のスタートが遅れた日本は自動車産業が育っておらず、多くの面で立ち遅れていたということも日本の戦車が対戦車戦闘で役に立てなかったことの大きな原因でしょうが、重量制限や用兵思想の違いもあったのです。

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軽自動車のノウハウしかない自動車メーカーがいきなりダンプカーを作れないのと同じで、技術の蓄積がなかったからです。

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突然ですが、質問者さまの家にある冷蔵庫はどれほどの大きさでしょうか? スーパーのバックヤードにあるような業務用の特大サイズですか?冷凍設備部分だけで何平方メートルもあるような?そんなことはありませんよね。 恐らく世帯人数に適した大きさの冷蔵庫を選んで購入されたと思います。スペースも電気代も購入費も莫大な巨大冷蔵庫なんて、よほどの理由がないと買いません。 兵器も同じで適切な性能のものが選ばれます。 まず、当時の日本陸軍が対峙していたのは中国国民党軍やソ連極東軍などです。「ブリキの」ような戦車で十分対抗できる相手でした。 実際、ノモンハン事件では数的不利ながら戦車戦を行い、歩兵の援護もあってソ連戦車隊を大破しています。また国民党軍の機甲戦力は開戦早々に殲滅され、戦車戦自体発生しませんでした。加えて彼らは対戦車兵器も貧弱だったため、大陸では日本軍戦車が圧倒的優位を保っていました。それ以上の戦車は無駄だったんですね。 なお、強力な米軍戦車の出現と共に対戦車戦を意識した大型戦車を製造し始めるのも、これらの背景を物語っています。 他にインフラの脆弱さも理由の一つです。日本本土ですら大型車両の移動は困難で、道も橋も積み出しクレーンもかなり限られていました。まして戦場と化した大陸で、質問者さまの考える「優秀な」戦車がまともに動くかどうか... 一方で他の「優秀な」兵器もそれが適切だったために造られました。例えば大和型戦艦は、米海軍の存在を念頭に置いて建造された物です。厳密には軍縮条約が高性能化を促しましたが、どちらにせよ必要性があったこと、この点が重要です。 現実の戦争はゲームなどとは異なるため、カタログスペック上で最高の兵器が最強なのではありません。ドイツで多くの巨大戦車計画が打ち切りになったように、強力でも現実にそぐわない兵器は持て余し産廃化してしまいます。 「ブリキの戦車」と呼んでる方は、恐らく戦車が兵器であることを意識したことが無いのでしょう。まだまだ軍事初心者さんですね。温かい目で見守ってあげて下さい。