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2022/6/29 9:51

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第二次世界大戦の時のソ連の戦闘機は、どれもドイツの戦闘機より性能が劣っていたものの、数で押しきることでソ連は制空権を手に入れたのですか?

歴史 | ミリタリー135閲覧

回答(6件)

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性能は状況によりけりでなかなか比較できないけど、Bf109は性能は素晴らしいけど、着陸がアレだし、序盤のソ連機の旧式化は如何ともし難いし。 質問者様のおっしゃる通り、赤色空軍が数でゴリ押しを目指していたのは確かで、ドイツみたいに少数精鋭部隊をちまちま投入しても、一時的な制空権は取れるが、ソ連軍が目指していた広域縦深突破を達成するには範囲が狭すぎて効果なしと判断、練度は低くてもある程度の損害覚悟で大規模投入した方が効果が高いことがわかり、大攻勢をかけるために戦略予備の蓄積に務めるようになりました。 ソ連軍が弱いイメージはドイツ軍に攻勢をかけられても戦闘機をケチって迎撃しなかったため、最前線の部隊はボコボコにやられてしまうので、これのイメージが強いのかと。 モスクワ、スターリングラード、クルスク、バグラチオンと勝って当たり前な数でゴリ押しできたのは、戦略予備の蓄積の成果です。

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そうでもない。表面上の最大数値ではドイツ機優勢だが、低高度での加減速性能や整備補給部品の調達の容易さ、そこから導き出されるスペック通りの性能を発揮できる機体の比率(故障率)などは、生産量の多さから来る予備機の多さもあいまって十分以上に対抗できるレベルにあった 特に末期になるほど資源と燃料不足で品質の低下したドイツに比べ、ソ連機は高品質機材の率が逆に増え燃料の質も向上したため、ドイツはスペックだけ高くとも10機中5機がエンスト寸前とか五体満足でないツギハギ機・損傷機で出撃、フルスペックを発揮できる機体は3~4機という編成で、20機全機が新品同様のソ連機を相手取るような戦闘を強いられた。それでもドイツエースはソ連爆撃機を中心に100機以上の撃墜数を出し続けたが、残存した敵爆撃機によって味方の陸軍や空港が破壊されればいくら空で戦っても劣勢は覆らなかった 戦闘機では戦争には勝てないという話

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大戦初期の主力だったI‐16は設計年次が古いのと 非力だったのでドイツ戦闘機のいいカモになっていましたが、 大戦後半に登場したYak-3は4000m以下でドイツ戦闘機より 高速でしたし、La-7は6000m付近でFw190を圧倒する 飛行性能を発揮しています。

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1943年初めからドイツ本土に対する米英軍の戦略爆撃が本格化 米軍は昼間爆撃、英軍は夜間爆撃を行いました ドイツ軍は昼間迎撃用の単座戦闘機を635機から800機に 夜間迎撃用の複座戦闘機414機から600機に増強したが、足らず 1943年9月イタリアに米英軍が上陸したこともあって ヒトラーは同月に東部戦線から6個戦闘航空団を本土防空、イタリア戦線のため、引き抜き東部戦線のドイツ軍戦闘機は500機に激減 さらに引き抜きは続き翌44年1月には425機に減少 (1944年1月1日付のソ連側の主張によるソ連軍の前線での航空機数は1万3400機) どんなにキルレシオが高くても広大な東部戦線では一時的で局地的にしか航空優勢を保てなくなり ベテランパイロットは度重なる出撃で疲労困憊になりました そのうちに米軍戦略爆撃機がルーマニアの油田爆撃に出撃してきたため 東部戦線のドイツ空軍戦闘機にはその任務も課せられてしまいます 余談ですが トップエースのハルトマンもルーマニア油田防衛に駆り出され爆撃機護衛のP-51D数機との戦闘になった P-51Dより劣るBf109Gで何機か撃墜した後、相手が只者でないと気づいたP-51Dがかなり執拗にハルトマンを追い回しBf109Gが燃料切れになり 機体を放棄しパラシュートで降下していく時、生き残った複数のP-51Dが翼を振って健闘を称え去っていったそうです

ソ連の戦闘機がドイツのドイツの戦闘機を圧倒する? ドイツがフィンランド、ルーマニア、ハンガリー、クロアチア独立国にBf109Gを供給してから上記の国でエースパイロットが量産された ソ連戦闘機がドイツ戦闘機に勝るというのはソ連側の宣伝上での紙上のみ

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ドイツがソビエトに侵攻した当初は、前線にはまだポリカルポフイ153複葉戦闘機や、イ16が多数配備去れて居ました。 その後に配備去れたLagg3やYak1戦闘機も、主翼に木材を多用した為、曲げやねじれへの対応に、極端なテーパーが余儀なく去れ、引き込み脚の収納に前縁の後退角が大きく為って居ます。 この様な主翼は、翼端失速が早く起きる悪癖が有ります。 ベテランパイロットに成れば、予兆を感知して対応出来ましたが、大量動員去れた促成パイロットには、対応出来ませんでした。 これらが、緒戦でのドイツの快進撃に繋がったのです。 その後、工業地帯を長距離爆撃機の無かったドイツの、手が届かないウラル山脈以東に移し、数で圧倒出来る様になると、補給線の伸びきったドイツを、例年より早く訪れた冬将軍に助けられ、制空権を確保できたのです。