南京大虐殺とウクライナ大虐殺はどちらを重要でしょうか?

世界史 | 海外生活84閲覧

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背景は違いますがどちらも重要です。しかし早速否定派のすぐバレるウ.ソが出て来ましたね(笑)。 >>中国の発表によると犠牲者の数は30万人、当時の南京の人口は10万人。日本の統治により、人口が増え最終的な人口は20万人。皆殺しにしても10万人足りない計算である。 当時の南京の人口が10万と言う資料は存在しません。 南京行政区の中心部が南京城区で、人口130万(135万説も)。日本軍が迫って来たので80万人が逃げて残ったのは50万。 当時の南京城区の人口を示す唯一の資料は、1937年11月23日に南京市長の馬超俊が政府に出した報告書、 「調査によれば本市の現在の人口は50余万。将来およそ20万と予想される難民の為に食料送付が必要である」 つまり20万は人口ではなく予想される難民の数です。南京事件の前なので南京市長がウソをつく必要はありません。 これは南京安全区国際委員会のジョン•ラーベ委員長(ドイツ人、ナチス党員)が日本軍に出した書簡と一致します。安全区に避難した人数が20万、と。 そして南京を占領した日本軍によって改めて激しい虐殺、強姦、略奪が始まり、更に5万人が安全区に保護を求め、安全区の避難民の数は25万に増加。人口ではない。これも国際委員会が日本軍に提出した書面に書かれています。 と言うことで、当時の南京の人口50万+南京守備の中国軍10~15万、合計60万+。30万人殺そうと思えば殺せた。正確な数は分かりませんが、、、 >>南京大虐殺が言われるようになったのは、戦後実際に戦地で戦った世代が引退したタイミング。 トンでもない!毛沢東の共産党が1938年1月(南京大虐殺進行中)の機関紙で、南京を含め中国で日本軍が行っている残虐行為を厳しく非難、蒋介石は同時期に発表した「日本国民に告げる書」「世界の友邦国に告げる書」で日本軍の蛮行を訴えた。 そして1947年に南京軍事裁判で谷寿夫中将など四人の日本軍人が銃殺刑、1948年に東京裁判の結果、南京攻略軍総司令官の松井石根大将が絞首刑。 >>南京大虐殺の証拠となっている物はジョンラーベの日記と報告。 これもウ.ソ。別にラーベに教えてもらわなくても、当時の日本陸軍の将軍や南京攻略戦に参加した兵士たちの報告書、従軍日誌、証言があります。敗戦後に強制されて書かされたものではない。発生当時のリアルタイムです。 陸軍省人事局長・阿南惟幾少将(のち大将、陸軍大臣)南京視察メモ 「軍紀風紀の現状は皇軍の一大汚点なり。強姦、略奪絶えず」 「婦人方面(=強姦の事)、殺人、不軍紀行為は国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり」 第十一軍司令官・岡村寧次中将(のち大将) 「宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、抗州特務機関長萩原中佐等から聴取したところを総合すれば次の通りであった。 南京攻略時において約四、五万に上がる大殺戮、市民に対する掠奪強姦多数ありし事は事実なるが如し」 第十六師団長•中島今朝吾中将の日記 (昭和十二年十二月十三日) 「佐々木部隊だけにて処理せしもの約一万五千、太平門における守備の一中隊長が処理せしもの約一三〇〇、その仙覚門付近に集結したるもの約七、八千あり、なお続々投降しきたる。この七、八千人を片づくるに相当大なる壕を要し、なかなか見当たらず、一案としては百、二百に分割したる後、適当の箇所に誘きて処理する予定なり」 第百十四師団六六連隊第一大隊戦闘詳報 12月13日午後二時 連隊長より命令を受く。 「旅団命令により捕虜は全部殺すべし」 歩兵第65連隊第8中隊遠藤高明少尉の陣中日誌 「捕虜総数1万7千25名。夕刻より軍命令により捕虜の三分の一を江岸に引き出し、射殺す」 山田支隊山砲兵第19連隊第3大隊黒須忠信上等兵の陣中日記 「二、三日前捕虜せし支那兵の一部五千名を揚子江の沿岸に連れ出して機関銃をもって射殺す。その後銃剣にて思う存分突き刺す。ウーン、ウーンとうめく支那兵の声、年寄りも子供もいる。一人残らず殺す。刀を借りて首も切ってみた」 南京野戦郵便局長・佐々木元勝の従軍日誌 「中山門を入る前、また武装解除された支那兵の大群に遇う、、、七千二百名とかで、一挙に殺す名案を考究中だと、引率の将校が話した」 「碼頭の局に行った運転手の兵等が、大分遅くなってからドヤドヤ帰ってきたが、碼頭で二千名の俘虜を銃.殺したという話。手を縛り、河に追い込み銃で射ち殺す。逃げようとするのは機関銃でやる。三人四人づつ追い立て、刺しても斬っても御自由というわけで、運転手の兵も十五名は撃ったという」 南京攻略軍の総司令官松井石根大将の専属副官•角良晴少佐の証言 「一二月一八日朝。第六師団から軍の情報課に電話があった。 『下関に支那人が約十二、三万人居るがどうしますか』 情報課長の長中佐は極めて簡単に『ヤッチマエ』と命令したが、私は事の重大性を思い松井司令官に報告した。松井は直ちに長中佐を呼んで 強く解放を命じられたので、長中佐は『解りました』と返事した。 ところが,約一時間ぐらい経って再び問い合わせがあり、長は再び『ヤッチマエ』と命じた」 田中隆吉陸軍少将の回想 「長中佐はこう言って威張っていた。 『鎮江付近に進出すると、、、退路を断たれた約三十万の中国兵が武器を捨てて我が軍に投じた、、、何人にも無断で隷下の各部隊に対し、これらの捕虜を皆殺しにすべしとの命令を発した。 自分はこの命令を軍司令官の名を利用して、無線電話により伝達した。 命令の原文は直ちに焼却した。この命令の結果、大量の虐殺が行われた。然し中には逃亡するものもあって皆殺しという訳にはいかなかった』 陸軍飛行第八大隊・井出純二軍曹の従軍日記 「いよいよ処刑が始まった、捕虜はおとなしく座り込んでいる。それを次々に斬って死体を水面(注:揚子江)にけり落としている。三十分近く見物したあとで胸が悪くなった」 同盟通信社・前田雄二記者 「校舎の一角に収容してある捕虜を校庭に引き出し、下士官がそれを前方の防空壕の方へ走らせる。待ち構えた兵隊が銃剣で背後から突く。悲鳴をあげて壕に転げ落ちると、更に上からとどめをさす。それを三ヶ所で平行してやっていた。壕の中には鮮血でまみれた死体が重なっていく。交代で突き刺す側の兵隊も蒼白な顔をしている」 三重県桑名市出身の元陸軍伍長・近藤一氏の証言(TVインタビュー) 「討伐に行きますと、古兵は部落で先ず女性を探す。ほとんど逃げて空っぽですが、逃げ遅れた者がいます。 十代から三十代の女が目当て。それがいないと五、六十代の老婆でも引っ張り出す。 そしてお決まりの輪.姦です。 そのあげく性.器にそこらのビンとか木片とか突き立て、押し込む。これは大変ですよ。悶死です。 初年、二年のうちは、目を背けて「どうしてこんな事まで」とついていけないのですが、二、三年経ち、古くなると同じ事を造作もなくする人間になってしまうんです」 中国における日本軍の軍紀、規律は劣悪で、陸軍省が陸軍部隊に教育参考資料として送った「支那事変の経験より観たる軍紀振作対策」は以下の様な文章で始まっています(現代語訳)。 「事変勃発以来の実情は立派な武勲の反面、略奪、強姦、放火、捕虜.惨.殺など、皇軍としての本質に反する幾多の犯行を生じ、その為に聖戦に対する内外の嫌悪•反感を招き、聖戦目的の達成を困難にしているのは遺憾である、、、」 天皇陛下の大日本帝国陸軍を総括する誇り高い陸軍省が恥を忍んでここまで言わなければならないほど酷かったのです。 他にもありますがこれで十分でしょう。

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どちらも被害者にとっては同程度に重要です。 日本軍は南京で「武器を持たない私服の中国人」つまり民間人と見分けがつかない中国人を殺害しました。 (以下引用) 昨日に続き、今日も市内の残敵掃蕩にあたり、若い男子のほとんどの、大勢の人員が狩りだされて来る。靴づれのある者、面 たこのある者、きわめて姿勢の良い者、目つきの鋭い者、などよく検討して残した。昨日の21名と共に射殺する。 http://kk-nanking.main.jp/sougou/jp_gun/jintyu.html

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どちらがだったら多分ウクライナですね。 NATOの対ロシアを根本的に変えましたし、 世界中に影響を出しているので。

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人口が増えて遺体がない南京大虐殺。 何故か死体が移動していたり、死因が違う等バレて本性もバレたウクライナ大虐殺。 どっちも似てますねー