古墳時代の大連、物部尾輿の子に物部 守屋という人がいました。 現代も守屋さんを名乗る人が各地におられますが、物部 守屋の子孫はおられるでしょうか?
古墳時代の大連、物部尾輿の子に物部 守屋という人がいました。 現代も守屋さんを名乗る人が各地におられますが、物部 守屋の子孫はおられるでしょうか?
ベストアンサー
眉唾もいいとこです。源義経=チンギス・ハーン説と同じくらい信憑性がないです。 なにしろ物部氏は奴婢階級に落とされてますから…奴婢の戸籍なんてありませんので、物部氏の系譜をたどることができません。 まして『守屋』は名前なわけで、現代の守屋さんが物部守屋の子孫なんてのは、すごくおかしな話なんです。道長さんという名字の人がいたとして、藤原道長の子孫!なんて考えられないでしょう? もし、物部守屋の子孫だという人がいたなら、多分当人や何代か前の人が 「俺と同じ守屋ってので、歴史上の人物がいるじゃん!これ俺の先祖ってことにしちゃおうぜ?てか俺のご先祖で間違いないよな!」 てなったんだと思います、 守屋さんの名前の由来は長野にある守屋山であるとか、清和源氏の子孫で守屋を名乗る人がいたとか。そこらへんが有力だそうです。
ありがとうございました。 長野にある守屋山であるとか、清和源氏の子孫で守屋を名乗る人あたりなのでしょうね。 ありがとうございました。 本人が物部守屋のゆかりの人とは言っていないのです。
質問者からのお礼コメント
清和源氏の系統かもしれません。 ありがとうございました。
お礼日時:7/5 8:26