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第二次世界大戦 太平洋戦争 大日本帝国 南方資源

sennsu1128さん

2009/6/420:27:33

第二次世界大戦 太平洋戦争 大日本帝国 南方資源

日本は当時南方資源地帯を確保することを戦争目的のひとつにあげてましたが、当時の南方資源地帯は。どの資源がどれくらいあったのですか?(ゴムとかオイルとか?)
また、その資源は日本が満足するほどの量があったのですか?

戦争中期にはこの資源地帯と日本を結ぶ輸送船が米潜水艦に、悲しくなるほど撃沈されてますが大陸打通がされたなら陸路でも可能だったと僕は思いましたがそれが行われなかった理由はなんでしょうか?

質問攻めでスイマセン。詳しい方お願いします。また質問の答えに関するページを貼って頂けると嬉しいです。

補足「陸路での輸送ってすげー大変」でも、末期には艦隊行動が出来なくなるほどオイルが欠乏し劣悪な航空燃料しか使えない状態なら採算合わなくても行う価値があるかもしれません。大変なだけが理由ではないとも思います。

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nmurasさん

編集あり2009/6/514:26:11

日本が南方に求めた資源は、石油、ゴム、錫、ボーキサイト、ニッケル、クロム、タングステンなどです。
そして最も決定的なのは石油です。
石油ほど決定的に重要で、節約も他の物資での代替も困難で、しかも他の地域からの取得が困難な物質はないからです。

石油について言えば、戦前の日本の年間消費量が500万キロリットル、戦時中の年間消費量が400万キロリットル、南方(主にオランダ領インドシナ)の年間産出量が800万キロリットルですから、数字的にはとりあえず満足できる量があったことになります。
現実にはいろいろと困難があったわけですか、それはまた別の話です。

また大陸打通は、陸軍の補給にとっては役に立ちますが、国家規模での資源輸送にはスズメの涙です。
どういうことかと言うと、鉄道輸送は船舶輸送に比べて、効率が極端に悪いのです。
いろいろな数字がありますが、同量の荷物を同じコスト(燃料など)で運べる距離は、船舶が数十倍から百倍にもなります。(長距離・大量輸送の場合に限る)
もちろん船舶は港湾での積み降ろしに時間がかかるなどの欠点もありますが、どうせ日本本土に持ち込むためには、どこかで海を越えなければならないのです。
南方の資源を大量に輸送できるのは、船だけなのです。(陸上国家と思われがちのドイツの国内流通でさえ、バルト海の海運が重要でした)
タングステンなどの高価で量の少ない輸送なら、鉄道は有力な選択肢になりえますけどね。

それと、この種の情報はいろいろな数字の積み重ねですので、網羅的に解説しているHPは存じません。
断片的な情報ならあちこちにありますけど。

[補足]
なので末期には陸上輸送を試みていますよ。
ですが、積み出し港と積み降ろし港さえあれば後は船を増派すればよい海上輸送と違い、陸上輸送にはインフラ(道路、線路、パイプライン等)が必要です。
戦時中に唯一実現可能な鉄道について言えば、全区間に線路を敷くのはもちろん、給炭施設も各地に必要ですし、輸送量を増やそうとすれば複線化も必要ですから、海上輸送がダメになってから始めたのでは手遅れなんです。
「だったら早めに用意しておけ」と言いたくなりますが、前記の通り、海上輸送が使えるならそちらを使いたいのです。(と言うか、日本国家が必要とする量は海上輸送でないと賄えない)
海上輸送の船舶も(とくにタンカーが)大いに不足していたのが現実で、戦中の日本は全力を上げて輸送船を量産していた(陸軍は戦車の資材すら輸送船に回します)のですから、効率の悪い鉄道に回せる資源は限られていたのです。
実際に太平洋戦争の序盤に「大東亜縦貫鉄道」が計画されますし、これは政治的にも重要な計画だったのですが、経済的に全く非現実的でした。
軍用として重要な幾つかの路線を作る程度が、日本の限界だったんです。(機関車の数も絶望的に足りないですしね)

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ベストアンサー以外の回答

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vibe_hookさん

編集あり2009/6/423:31:10

石油で見ると、1936年~1940年の石油製品(ガソリン、重油、軽油など)消費量はいずれも3000万バレル以下、おおむね2800万バレル前後を推移しています。これは開戦以後もほぼ同レベルですし、恐らくこのくらいが年間必要量だったと思われます。それに対して、蘭印油田は昭和18年で海軍施設が原油120万キロリットル、陸軍施設が原油600万キロリットルほど、昭和19年に入って還送が出来なくなった時期でもあわせて500万キロリットルが産出されています(ちなみに石油技術者の太平洋戦争によると、この時期には既に精製油が余った為にわざわざ不要分を燃やしたりしているようです)。720万キロリットルをバレル換算すると4500万バレルほどになりますので、精製して多少減ることを考慮しても産出量は十分すぎます。

ゴムについては資料がありませんので、他の識者の方に譲ります。


なお、大陸は1944年後半の大陸打通作戦でラングーンから釜山までの間を鉄道が通れるようになっています。しかし、打通したのが1944年末であったことや、鉄道による原油輸送にはそもそも限りがあること、何よりもゲリラ戦に弱い鉄道だけに安定して運行できなかったことが原因となって輸送していません。また、仮に自動車や鉄道がしっかりと通れるようになったとしても、ボルネオ島などから海路輸送してどこかで集積しないといけませんが、1944年末のフィリピンが落ちた以後はそれすら危険となっています。こうした理由により、大陸輸送路を使えませんでした。

仮に大陸打通作戦をもっと早い時期にやっていたと仮定しても、鉄道による原油輸送は船舶に比べてかなり効率が悪い上、長大な鉄道を守るならば相応の守備隊が必要になりますが、そんな余裕があるとは思えません。また、車両輸送は下手すれば燃料を運ぶ為の燃料がいることになります。例えばTX-40型トラックの荷台にタンクをつけた油槽車がありますが、これで2キロリットルしか輸送できません。そして4000ccのエンジンを積んだ大排気量車なので、燃費は間違いなくリッター10キロもいきません。数千キロの行程を護衛車両とともに移動すれば、輸送燃料の大部分を輸送中に使い果たします。

パイプラインを敷設するにしても、日本が蘭印原油を欲するようになるのは1940年以降ですし、この準戦時に時間がかかり、なおかつ完成後も破壊工作に弱いパイプラインを守備するだけの余裕があるなら、護衛艦艇とタンカーを建造する方が現実的と思われます。

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