戦国時代に、晩節を汚した武将というと、誰だと思いますか? 豊臣秀吉以外でお願いします。

日本史 | 歴史100閲覧

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お礼日時:2023/11/29 13:24

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大友宗麟 キリスト教に帰依した後、晩年になって領内の仏教徒を弾圧し、 人心が離反してしまい、耳川では島津氏に大敗して、 衰退をしてしまった。 三好長慶 有能で最愛の嫡男義興や、有能な実弟の実休を亡くして、 鬱状態に陥って猜疑心が強くなり、 もう一人の弟の安宅冬康を自ら殺害し、 家臣団の統制を失ってしまった。 武田信玄 盟友の今川義元の戦死後、その領地を強引に奪ったため、 嫡男の義信を自殺に追い込み、もう一方の同盟者北条氏をも敵に回し、 5年近い泥沼の戦争状態に陥った。 その間に、ライバルの織田信長は上洛を果たし、 武田家と立場が逆転してしまった。 細川政元 足利将軍家から政治の実権を奪い、 「天下人」「半将軍」と呼ばれるほどの勢威を誇ったが、 晩年は修験道に凝って異常な言動が目立つようになり、 家臣に暗殺をされてしまった。 また、三人の養子がいて、後継者を明確にしていなかったので、 永正の錯乱と呼ばれる混乱を招いてしまった。 などですね。

こんばんは 武田勝頼です。 偉大な父信玄を超えようと領土拡大を図り、設楽が原の戦いでは撤退の チャンスを逃し正面から織田・徳川軍と戦い敗れました。 上杉氏の御舘の乱では、景勝側の領土提供条件に乗って景虎と手を切り 景勝側に付いたため、後北条と敵対することになり、西の織田・徳川方 と挟撃されることになり、滅亡へと追い込まれていきました。