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2023/12/10 9:42

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一橋大学(商学部、法学部、経済学部)と慶応大学(商学部、法学部、経済学部)は、どちらが受験の難易度が高いですか? また、両方合格した場合、どちらの大学に進学する人が多いですか?

大学受験 | 大学405閲覧

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受験の難易度としてはほぼ互角と見ていいと思います。河合塾の偏差値だと一橋65で、慶應が65-67.5なので。この手の質問には必ずといっていいほど、国公立の方が科目が多いから難しいはずだという回答がつきますが、現実的には一橋には合格したが慶應には不合格だったという受験生は大勢おりますので、「科目が多いから信者」の話は無視した方がいいですよ。 ただし両方合格した場合には、一橋を選択する人の方が多いです。一橋と慶應で慶應を選ぶ人もいることはいるのですが、毎年このペアだと必ず一橋の方が多くなります。こういったデータは河合塾や東進などの予備校が持っていますので、所属しているならそちらに、そうでなくても高校経由で教えてもらえます。

一橋大学の商学部、経済学部、法学部と慶應義塾大学の商学部、経済学部、法学部は国立大学と私立大学の違いこそあれ共に実業界に多くの人材を輩出してきた歴史的に実績がある大学であり学風も慶大は経済学部が一橋大学は商学部が看板学部で似ており良く併願されていますね。 一橋大学の嚆矢である明治8年(1875年)の私設商法講習所を銀座尾張町に創設した後の初代文相となる森有礼と安政5年(1858年)に中津藩中屋敷内に開いた蘭学塾が其の嚆矢である慶應義塾の創設者の福澤諭吉は明治6年(1873年)に共に啓蒙思想団体組織だある明六社を共に組織し明六雑誌を共に刊行したある意味で啓蒙思想家の同志でしたので私設商法講習所設立に際しては福澤諭吉は物心共に協力を惜しみませんでした。 一橋大学(当時は私設商法講習所)と慶應義塾大学(当時は慶應義塾正科及び別科)は創設者同士の交流も含めて明治初期には兄弟校の様な関係だったのです。 福澤諭吉は森有礼と広瀬常さんとの日本初の3条の契約からなる契約結婚式の証人にもなっています。 後に明治37年(1904年)に高等商業学校(一橋の前身)時代の松崎蔵之助校長と大喧嘩して高等商業学校教授を潔く辞めてきた社会政策学派の碩学の福田徳三を慶應義塾大学部の政治科教授に温かく迎え入れたのは福澤諭吉の慶應義塾でした。 この一橋(高等商業学校)出身の慶應義塾大学部政治科教授を務めていた福田徳三の下から後の慶應義塾の理財学や経済学研究を担うディヴィッド・リカードウ研究で名高く慶應義塾大学の名塾長としても謳われ、戦後は明仁皇太子殿下(今の上皇陛下)の若き日の帝王学をハロルド・ニコルソンの『ジョージ5世伝』と福澤諭吉の『帝室論』によってマンツーマンで教授する東宮教育担当特別参与となる小泉信三と重商主義経済学説史研究の碩学にして戦後の教育基本法制定時の吉田茂内閣の文相となる高橋誠一郎の両名が輩出されています。 難易度はほぼ同程度(河合塾の50%合格基準偏差値で65〜67.5のゾーン程度)ですがだいたい国立大学の一橋大学を第一志望にして私立大学の慶應義塾大学を第二志望にするケースが多いようです。 両方とも合格した場合は学費が安い国立大学法人の一橋大学を選択するケースが殆どです。 特に一橋大学商学部、経済学部と慶應義塾大学商学部A方式は併願成功率も高く鉄壁の併願パターンとなっています。