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源田実の評価について

pap********さん

2009/8/1911:32:02

源田実の評価について

wikipediaの記述です。源田がバカだったという話は聞きましたが,これほどまでに凄まじいアホだったのですか?

「戦闘機の戦闘においても、さしたる根拠もないのに「一騎打ち形式の格闘戦」に固執し、周囲からの説明にもかかわらず、欧州や米国における「高速での一撃離脱を主とする新しい戦闘形態」(エネルギー空戦)を全く理解できず、また、理解しようとすらしなかった。自身の操縦技能が極めて拙劣であったにもかかわらず、自己を一流のパイロットを誤信していた彼は、重戦闘機や防弾装備を極端に軽視し、航空機メーカーから乗員保護について提案がなされても「腕よりも機械に頼る腰抜けどもを増やすだけ」と一蹴、一貫して否定的であった。そのため、戦況に即した機種開発を望む航空機メーカーの意見が黙殺され海軍機の多くは開戦時の機材の手直し程度の進化に留まる事を余儀なくされ、諸外国はもとより陸軍の航空機にも技術的に遅れを取った。生来の愚劣に加え、その怠惰ゆえに学識に乏しく、およそ論理的思考力を欠く源田が、航空工学その他の技術を理解することなどできようはずもなく、そのような彼が傲慢にもわが国軍部の中枢にあったことは、わが国にとって最大の不幸といっても差し支えなく、また、かかる者が分不相応な職責を与えられるにいたったこと自体、珍事というほかない。」

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jap********さん

2009/8/2022:15:38

みなさんいろいろと書いていますが,詰まるところ,あれだけ部下や同僚を死なせておきながら,戦後は平気な顔で参議院議員にまでなっている。この事実だけで,この男の評価が定まるでしょう。

武士道を持ち出す気はありませんが,普通は隠遁生活をするものでしょう。たんなる権力欲,出世欲の亡者です。

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uma********さん

2009/8/1919:45:26

源田実氏の評価としては坂井三郎氏がその著書で批判していたのは源田実氏が戦闘機無用論を展開し、戦闘機搭乗員の養成人員を削減し、坂井三郎氏と同世代の戦闘機搭乗員訓練生の多くが爆撃機や雷撃機に転向させられ、優秀な戦闘機搭乗員の養成が遅れてしまったことをあげていました。このことは坂井三郎氏にとっては終生、源田実氏を許せない気持ちが強かったことです。

coo********さん

編集あり2009/8/1917:29:25

nmurasさんの冷静な回答に敬意を払いつつ、敢えて抑えておかねばならない点について

1.カーチス=ルメイの叙勲に奔走
B29による無差別爆撃の司令官カーチス=ルメイの叙勲に奔走した。
1964年に、航空自衛隊創設時の戦術指導に対する功績により、カーチス=ルメイは勲一等旭日大綬章を授与された。
これは参議院議員で元航空幕僚長源田実と、小泉純一郎元首相の父の小泉純也防衛庁長官からの強力な推薦によるものでした。
昭和天皇はこの男に自ら勲章を授けはしなかった。本来勲一等に叙する勲章は与に当たって直接天皇から渡される(天皇親授)である。
強い批判があった状況での叙勲については、源田実の特攻隊戦術の責任不問との交換材料などきな臭い話がある。

2.特攻作戦の立案・実行に関わっていたにもかかわらず、戦後は沈黙した。
昭和19年10月13日です。
大西中将がフィリピンへ向けて飛んだのが9日、特攻作戦の案を持ち出したのが19日の午前零時直前、そして20日に特攻隊を編成されました。
ところがそれより一週間も前の電報は
「神風攻撃隊ノ発表ハ全軍ノ士気昂揚ナラビニ国民戦意ノ振作ニ至大ノ関係アル処 各隊攻撃実施ノ都度 純忠ノ至誠ニ報ヒ攻撃隊名(敷島隊、朝日隊等)ヲモ併セ適当ノ時期ニ発表ノコトニ取計ヒ度・・・」
この電報をうったのは、当時の軍令部員の源田実です。
航空特攻については、その当時の軍令部員でもあり、航空の権威の源田実にかかわりが無かったことなどありえない。
特攻に関しては特に源田は主導的に動いていたことや、人間爆弾「桜花」の開発に深く関わっていたことも明らかになっています。

3.戦後は、防衛を食い物にした怪物に
海兵出で、源田実の自衛隊時代の部下、妹尾作太男氏は、生出寿著「源田実」の解説で源田を厳しく批判。
・・・源田は「もしそれロッキードを採用するならば、航空自衛隊は平時にして壊滅するであろう(したがってグラマンを採用すべきである)」と、国防会議において堂々所信を表明していた。にもかかわらず、しばらくすると、平然としてロッキードを採用した、源田の変節と無責任ぶりには、筆者も当時、防衛庁に勤務していたので、ただただ唖然とするばかりであった。

生出寿著「淵田美津雄中佐の生涯」(徳間書店)より
・・・源田がグラマンをやめロッキードにしたことについて、旧海軍航空隊の後輩角田求士中佐(源田の三期下の兵学校五十五期)は源田に質問した。「グラマンをやめてロッキードにした理由はどういうことですか」「理由など別にないよ」源田はそっけなく答えた。より多い政治献金を必要とする自民党の実力者たちの指示に従ったということらしかった。それによって自民党の公認と資金援助を受け、昭和三十七年の参議院選に立候補した様である。
・・・源田が四回めに七五歳十ヵ月で立候補した昭和五十五年(一九八〇)六月二十二日、参議院選のとき、高年齢と人気低下などのため、第一次公認をはずされた。よほど腹に据えかねたのであろう、事務所の中で、「公認しないなら、グラマン・ロッキードのウラをバラしてやるぞ」といきまいた。応援に来ていた兵学校七十八期の大岡次郎は「やはりグラマン・ロッキード事件には裏取引があったのか」と思った。




余談 源田批判の坂井三郎氏の発言
「日本海軍の名戦闘機パイロットと言われるが、実は一回も実戦経験のないパイロット、もちろん一機の敵機も撃墜した実績のない戦闘機パイロット」

坂井三郎著「零戦の真実」の戦闘機無用論のくだりに
「343空は私から見ると<源田氏の成績上げ部隊>に見える。優秀な搭乗員をひっかき集め 紫電改をかき集め・・・
・・・「源田の剣」(ヘンリー境田)によると、
呉空襲時の三四三空の、撃墜機数57機戦果の大ぼら
実際戦後米軍記録と照合したら14機で、パイロットの撃墜を確信出来た機数はたったの8機。


「零戦の最期」348ページより
沖縄戦の頃坂井氏が所属する部隊の司令G大佐らと共に出張した時の話。略歴からGが源田なのは明白。
(前略)G大佐の一声を聞いて、実は愕然とした。
「貴様、そんな気の弱いことでどうするか。囲碁にも捨て石、将棋にも捨て駒という手がある。そんなことで貴様あ、一人前
の戦争屋になれるか!」
人の良いN参謀は「ハッ!」と目を伏せたが、これが参謀畑の先輩であるG大佐の答えであった。その時、特務士官であった
私の存在などG大佐にとっては眼中になかっただろうが、少し離れたところでそっぽを向いて、ポーカーフェイスを装って
聞かぬ振りしていた私の心は、カッと燃えた。
(中略)
その瞬間から、私のG大佐を尊敬する心は去ったのである。
「正体見たり」であった。

nmu********さん

2009/8/1916:13:44

その記述は、源田氏に含むところがある著書の影響が強いですね。(幾つか心当たりはあります)
まあ、彼が敵を作りやすい性格だったのは間違いないので、自業自得とも言えますが。

以下、いくつかの反論。

・パイロットとしての源田は海軍から高い評価を得ており、操縦技能が拙劣というのは客観的な見解ではない
・防弾に不熱心だったのは事実だが、当時の海軍では技術者を中心に、防弾消極派の方が多かった
・そもそも源田は、航空機の開発方針に対してほとんど影響力を持っていなかった
・戦闘機無用論を始め、源田は海外の新理論に飛びつく傾向があり、(一貫性がないという批判はあっても)不勉強だったはずはない
・源田はいくつかの論文で海軍から高い評価を得ており、その内容も論理的で、論理的思考力や技術的な知識に欠けていたはずはない

戦後はともかく、戦前の源田は非常に限られた権限しか持っていない、ただの航空参謀にすぎません。
「目立ちたがり」的な部分のある人間だったようで、それが敵を作り、こういう悪評をまねく原因になったんでしょう。
源田を良い方向に過大評価する必要は全くありませんが、悪い方向に過大評価する必要もないと思います。
良くも悪くも特徴的な人物だったのは事実ですけど。

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投稿内容に関する注意

ohi********さん

2009/8/1912:21:38

そうです,全くその通りです。

単に学科が出来ただけの救いようのないアホでした。
このような人物が戦後に航空幕僚長になり,
さらには参議院議員になっていますから,
彼のような人物を選んだ国民もバカです。

全く同類のアホが,やはり航空幕僚長であった
田母神俊雄でしょうね。
彼もそのうち立候補するかも知れませんし,
そうなればバカな国民が投票するでしょう。

あまりの無知・無恥,無神経には呆れ果てます。

昔から,どうしようもないアホが組織の要職となる,
国会議員となる,首相となるという構図を改めない限り,
日本の将来は絶望的です。

sam********さん

2009/8/1911:49:57

アホだったと言うより、参謀になるほど勉強は出来たわけですから、頭は悪くなかったのでしょう。押しが強く我が強い体育会系エリートと言えるかもしれません。

源田実は戦前は源田サーカスの名で知られるように、アクロバット飛行で鳴らした名パイロットです。
つまり、彼の考える良い飛行機とはアクロバット飛行の得意な軽快な運動性を持つ飛行機であり、大馬力と高速度と頑丈さを求められる新しいタイプの戦闘機には付いていけなかったわけです。

もっとも、源田実だけが悪いということでもなく、たとえば局地戦闘機「雷電」などの開発が遅れたのは、源田実がこのタイプの戦闘機を嫌ったというよりも、三菱の開発リソースが不足していた(堀越チームが零戦の改良も、雷電の開発も、烈風の開発も全部引き受けなければならなかった)理由が大きいでしょう。同様に紫電の量産が遅れた理由も、エンジンと引き込み脚の信頼性を確保できなかった日本の工業力の問題です。

源田実の問題点は、自己顕示欲が強かったとの一言に集約されるかもしれません。自己顕示欲の反対として他人を思いやることがまったく無く、パイロットの犠牲を平然と「捨石」と言い放つ、彼の言動には坂井三郎氏をはじめ多くの人が反感を覚えていました。また、戦後も航空自衛隊の要職に付いたり、政治家になったりと、戦時中の自分の責任を省みていたとは到底思えません。

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