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戦国時代の近江(滋賀県)の77万石に驚いた人?米がたくさん取れ、人口も多く、...

gjf********さん

2009/9/2112:16:25

戦国時代の近江(滋賀県)の77万石に驚いた人?米がたくさん取れ、人口も多く、豊かだったということです。首都でもないのに。

近隣でも、尾張、美濃、伊勢、越前は、50万石くらいなのに。

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ベストアンサーに選ばれた回答

mio********さん

2009/9/2112:45:00

私も知らなく、驚きますが、可能性としてはありでしょうね。首都であるのと米の取れ高は関係なく、平野が多ければ取れる、技術の伝播が早い、これだけではないでしょうか?
美濃は意外ですが、尾張は国の面積が小さい。越前は豪雪地帯。伊勢も思ったより平野が少ない、と考えると近江より少なくてもおかしくはないでしょうね。
近江も平野はさほど多くはありませんが、信長や秀吉政権に近く、技術力があったのかもしれません。

余談ですが、現代の感覚は想像以上に昔には通用しません。たとえば、米の取れる地方は当然違います。品種改良前なので。
また、戦国期は実は太平洋側より北陸側が栄えていたらしいです。これは船便による流通の関係です。江戸初期に全国的な船便が整備されますが、戦国期はまだ北国廻りしかなかったからです。

経済事情からみると今と昔は違った面が垣間見え、おもしろいです。

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ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

kum********さん

2009/9/2215:38:31

近江は琵琶湖の水資源が豊富にあり
肥沃な平野で街道の重要拠点があり
戦国時代は美濃、近江を平定することが
天下を制するといわれていました。

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