NHKドラマ:坂の上の雲を見ていて インディアンが少なくなった原因が 白人がアメリカに渡って来てから インディアンが白人に騙されて

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インディアンの皆さんは自然と対話しながら生きて来られた人々だったのですよ アメリカでもインドでもアフリカでもオーストラリアでも、農耕や狩猟をしながら地球や宇宙と対話して、自然の摂理にならって歴史を重ねられたので、純朴で戦争はもちろんのこと、喧嘩にも、人を騙すのにも、慣れていなかったのですね アメリカへ進入してきた人々は、インディアンの暮らしていた広い土地を自由に使うために、追い出しにかかったのですね 何しろ大航海時代、植民地を広げて百戦錬磨の人々ですから、取引も、策術も、戦闘も、赤子の手をひねるように扱うことが出来たのです 天使の声で近づいてインディアンの大地に苦難の雨を降らせたのです 私にも、貴方にもあるかも知れない人間の原罪が善良な人々を陥れたのです この小さな星の中で、二度とあってはならない事なのです

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極端な話を信じないことです。 元々北アメリカには、多くの人が住んでいたわけではありません。 コロンブスがアメリカを発見したころの南北アメリカの住民は、3000万程度と言われています。 そのうち、マヤ・アスティカ地区(メキシコ、グアテマラ、ベリーズ、ホンジュラス、エルサルバドル)に1000万 インカ地区(ペルー、ボリビア、エクアドル、チリ北部、アルゼンチン北部)に1000万、現在のアメリカ地区では、300万程度とされています。 アメリカ地区で人口が少ないのは、主食となる食べ物が無かった(マヤ・アスティカ地区のトウモロコシ・インカ地区のジャガイモ)ため、遊牧生活が中心であったことが原因です。 またアメリカ地区の住民は、文化程度が低く、少数の部族社会であったため、遺伝子的に共通遺伝子が多く、病気への抵抗力が弱かったことが、最大の原因です。 特にヨーロッパからもたらされた天然痘は、圧倒的な力を示しました。 遊牧生活中心のアメリカの原住民は、部族の人数が少し減少しただけで、遊牧生活を維持できなくなってしまうのです。 また遊牧生活であったため、土地を確保するという考え方が無く、しだいにヨーロッパ人に土地を奪われ、狩場や遊牧地を失っていってしまったのです。 インディアンどうしの対立は、ごく一部ではありましたが、それは無視できるていどのものです。 一方、アスティカ・マヤ地域、インカ地域では、アメリカの原住民よりも文化程度が高く、多数の人口がおり、遺伝子的な多様性もおおきかったため、疫病などによる人口減少が少なく、農耕を行っていたため、簡単に土地を奪われることもありませんでした。 さらに、スペイン政府が、現地人との結婚を奨励し、スペイン人と現地人の間に生まれた子供を、積極的に植民地経営の人材としたため、急速に混血児(メスティソ)の割合が増えてゆきます。 しかし、マヤ文化の中心であったグアテマラ、インカの中心であったボリビアでは、どちらの国も、人口の60%が原住民です。 また、ペルー、エクアドルも、国民の半数が、原住民になっています。

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たしかにフレンチインディアン戦争では内陸部でインディアン同士の抗争になったようですがフランスからの補給が断たれると イギリス側とフランスに味方していた部族も同盟をむすんでます。この戦争でイギリスは敵対していたインディアンに天然痘患者が使っていた毛布などを意図的にばら撒きこれが世界で初の細菌兵器といわれています。 アメリカに西洋人が入植してきた当時インディアンはどの部族も友情をもって隣人として迎え大陸の植物の栽培法などを親切に教えたようですがその後10年たたないうちにインディアンに対して白人の虐殺が始まっています。 キリスト教とは違う文化をもつ彼らは未開の野蛮人で道理を説くことは出来ないというのが建前で元々土地が目当てな訳ですからインディアンは邪魔以外の何者でもないわけです。 17世紀にはすでに彼らを白人は人間とすら見なさなくなっていて彼らを開拓の過程で西へ西へと追いやっていきます。 最初の虐殺が行われたピーコット戦争以後300年以上にわたってアメリカの白人によるインディアンへの虐殺行為はつずきます。 それでも19世紀初頭まではインディアンもまだ白人と条約を結んで平和的に共存することを模索していたようですが、 1851年にアメリカの連邦政府は彼らの土地を侵さない事を条件に土地を横切る鉄道と幾つかの砦の建設を認めさせましたが その条約はあっさり破られました、当然怒ります。 そうしてまず中央部で大規模な争いが起きてその後1860年ごろからべバリッジ上院議員を中心にした大勢の入植者が西部に流入し条約で守られたはずの彼らの土地に勝手に柵を設けて占拠してしまいました今のパレスチナのように。 その過程で多くの部族が皆殺しの憂き目に会いバスク・レドンド保留地に連行されたナバホなどの部族はむしろ幸運だったといえるくらいです。 1864年にはアメリカ国旗えおテントに掲げてる限り安全を保障する条約を結んでいた部族をサンド・レークで皆殺しにしています。彼らは条約どうり友好的に旗を掲げていたにも拘らずです。それらの行為は南北戦争が起こるまで30年くらいのあいだつづき 彼らに行われた肉体的暴力と文化的抹殺に光が当たったのは20世紀も中ごろになってからです。

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>白人が銃などの武器をインディアンに渡して >それによってインディアン同士が対立して 1690年から1760年にかけてのフレンチ=インディアン戦争のことでしょうね。 独立戦争の前奏曲といわれる戦争です。北アメリカ大陸の領有をめぐっる英仏の抗争です。70年にもわたる長く激しい戦いでした。 狡猾なイギリスは、モホーク、オネイダ、オノンダーガ、カユーガ、セネカ、タスカローラの六氏族から強力なイロクオイ連合と結んだ。一方フランスはカナダに基地を置き、東部インディアンのアブナキ、オジブエー、オッタワ及びミクマクなどの支援を求めた。 この戦争にかり出されたインディアンの残虐行為を英仏両軍とも黙認したばかりか、むしろ積極的に奨励しました。どの民族にも好戦性・残虐性が見られるように、インディアンにひそむ好戦性・残虐性を白人があおって利用したのです。インディアンには最新式の武器があたえられもした。 結果として、ヨーロッパから持ち込まれた疫病で弱らされ、新しい武器で武装した激しい敵に向かい合うことになったインディアン部族にとって、相当に残酷な様相を呈し北アメリカの歴史の中でも血腥いものとなった。強大になったイロコイ族は北アメリカの勢力地図を塗り替え、ワイアンドット族(ヒューロン族)やニュートラル族、エリー族、サスケハンノック族など幾つかの大きな部族間同盟を破壊し、他の東部の部族をミシシッピ川を越えて西に追いやった。インディアンの避難民はイロコイ族の戦士から逃れて西に移動し、イロコイ族は北東部に帰ったので、ケンタッキーやオハイオ領土は事実上空白地帯となった。 >インディアンの数が減った ウィキより 白人の大規模農園開拓で土地や水源を奪われたり、バッファローなどの自然資源を巡って度々対立した記録が残されている。インディアンを殲滅する目的で、白人が病原菌の付着した毛布などを贈って故意に伝染病に感染させようとした事実が歴史に記録されている。 ヨーロッパ人がアメリカ大陸にやってくるようになった頃、1890年12月ウンデッド・ニーの虐殺により、白人によるインディアン戦争は終結した。最終的には推定1000万人いたインディアンは白人の直接・間接虐殺により実に95%が死に絶えた。 しかしそれ以前からはスペインはサント・ドミンゴ、プエルトリコ、ジャマイカ、キューバなどを征服し、そこの先住民ほぼ100万人を殺すか病死させるか奴隷にした結果ほとんどが絶滅してしまい、純血は確実に絶滅した。さらにインカ帝国、マヤ帝国、アステカ帝国のような文明大国はスペイン人の暴虐な植民地政策による虐殺またはヨーロッパからの疫病により人口が激減し、例えばインカ帝国の人口が最大で1600万人存在していたが108万人まで激減し、アステカ帝国の領域に限って言えば、征服前の人口はおよそ1100万人であったと推測されるが、1600年の人口調査では先住民の人口は100万程度に激減した。 スペインは植民地政策でアメリカ合衆国・カナダよりも多く先住民を一掃してしまい、その数は2000万人~3000万人である、スペインの植民地政策の凄まじさが理解できる。 インディアン絶滅政策 19世紀になると、「インディアン強制移住法」を制定したアンドリュー・ジャクソン大統領によって、「保留地制度に基づく強制移住に従わないインディアン部族は絶滅させる」とする「インディアン絶滅政策」が推し進められた。これはユリシーズ・グラント大統領や、ウィリアム・シャーマン将軍らによって更に強化され、民族虐殺の戦火はさらに西部へと拡大した。南東部での「セミノール戦争」は、白人とインディアンの国家間戦争としては最大級のもので、ジャクソンはこの戦いに焦土作戦による徹底殲滅を図った。「セミノール戦争」は現在、「インディアンのベトナム戦争」と呼ばれている。

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全然、長文じゃない。そういう原因もあったというだけですべてでもない。対立させた、ではなく、元から対立していたのです。火に油をそそいだというか。そもそもインディアンといっても数多くの部族があり、生業、文化、言語、習慣、などなど細かい違いがあるのです。テリトリーを分け合って利害対立の表面化を避けていても、白人に圧迫されて押し込まれるとテリトリーが衝突するようになってきたのです。白人に対する対応方針そのものでも対立してしまうのです。白人と共存しようと考える部族もあれば徹底抗戦を叫ぶ部族もある。フランス人と結んでイギリスに対抗しようとする部族もあれば、その逆もいる。部族間にも同盟関係があるし敵対関係もあるのです。それでも一番人口減少要因となったは生業を奪われたことだと思います。捕鯨部族に対して捕鯨するなと強制すれば生きていけませんし、バッファローの狩猟をしてた部族が白人のバッファロー乱獲で、やはり絶滅の危機に瀕する。白人は自己中心的で自分の価値観がすべて正しいと思い込んでいるから始末に負えない。 話変わって当初メイフラワー号で渡ってきた人たちは、厳しい冬が越せずに絶滅しかかっていましたが、哀れと思ったインディアンに助けられたのです。全然金持ちじゃないです。何にも荷物なんかなくイギリスを捨ててきたのですから。 また上に立てたというのも違う。イギリス移民は荒野を地道に開墾した農耕民族なのです。農耕民族は人口を増やせます。狩猟民族の1万倍にも増やせます。インディアンが1万人いるなら同じ土地で農耕民族は1億人住めるのです。これが農業の生産性なのです。こういう基本的なことを教科書はさっぱり教えないのだから話にならない。1万倍は少し大げさだったかも知れないが、とにかく人口が違いすぎるのです。

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