和同開珎が使われなくなったのはいつのことですか?
2010/2/217:53:22
ベストアンサーに選ばれた回答
編集あり2010/2/319:43:47
708年の和同開珎発行以降、958年の乾元大宝発行まで十二種類の国産貨幣が発行されています。和同開珎以前に「富本銭」や「無文銭」が発行されていることが近年確実になりましたが、前述の十二種類の貨幣を「皇朝十二銭」と呼んでいます。
和同開珎が使われなくなった時代ははっきりしませんが、760年に万年通宝が和同開珎の次に発行されると、政府は「万年通宝1枚=和同開珎10枚」というデノミ政策を実施します。これはその後も新しく貨幣が発行されると実施されているので、958年の乾元大宝発行の段階では、実に乾元大宝1枚=和同開珎1千億枚という交換比率になってしまっています。今日流通している1円アルミ貨幣の発行枚数は三百億枚と推定されていますから、そんなに和同開珎が発行されたとは思えませんから、和同開珎は子供の玩具同様になってしまっています。当然政府はそうした旧貨幣をただ同然で集めて新貨幣を発行しているわけです。
同時に中国貨幣も日本に入って来るようになって来ていて、皇朝銭は全て真ん中の穴に紐を通して管理されていたことをいいことに、中国貨幣を皇朝銭の大きさに加工して真ん中に入れてゴマカス連中も出現し、ついに乾元大宝を最後に国産貨幣の発行を中止することになってしまいます。
その後、平安~室町にかけては、布反物や米穀が通貨の代わりとなり、宋、元、明の貨幣が輸入されて来るようになるとそれが金属の価値として再度貨幣化して行くわけです。もちろん、金や銀と言った希少金属も通貨代わりになっていました。中国銭が安定して貨幣として使用されたのは、品質良くまた大量流通するようになった「永楽銭」からで、それ以前の銅銭を「鐚=びた銭」として品質の悪い貨幣にしてしまいました。「ビタ一文」という言葉は「品質の悪い貨幣一枚」という意味です。
日本で再度国産貨幣が登場するのは、太閤秀吉が天下統一した後の慶長年間に入ってからのことです。
【参考】
①和同開珎(708年)②万年通宝(760年)③神功開宝(765年)④隆平永宝(796年)⑤富寿神宝(818年)⑥承和昌宝(835)⑦長年大宝(848年)⑧饒益神宝(859年)⑨貞観永宝(870年)⑩寛平大宝(890年)⑪延喜通宝(907年)⑫乾元大宝(958年)以上を「皇朝十二銭」という。
②~③の段階では、わずか五年で貯めた銭が十分の一にされてしまったわけです。貨幣に対する信用もなくなるわけですね。
このカテゴリの回答受付中の質問
- 神風特別攻撃隊の隊員の出撃前に撮られたであろう写真をネット内で見たのですが、...
- 吉川英治の「平の将門」についての質問です。 史実では藤原純友との「叡山の約...
- 藩の研究が進んでいる大名家はどこでしょうか? (統治機構、法制度、経済政策、...
- 昭和の終わりでも男性の平均身長って170なかったんですか?
- 滋賀県にある虫生城は、豪族虫生氏の城であり、虫生丹後守の名前がありますがこの...
- こんにちは。 画像は実家にあった掛軸の賛ですが、これを書いた人は、有名な蘭学...
- 相馬中村藩は6万石の藩でしたが、この藩の藩士である大悲山氏は千葉氏の一族なの...
- 北条氏による専制の具体例を教えてください
- 戦後間もない頃 第一サンマ事件 発生したと思います 資料が欲しいです ...
- 南部藩士の蝿田氏は、清和源氏南部氏の一族ですが、盛岡藩士にもみられる蝿田氏は...
カテゴリQ&Aランキング
- 戻る
- 次へ
総合Q&Aランキング
Yahoo!知恵袋カテゴリ
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
[PR]お得情報
