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対独宣戦布告。 ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発しましたが...

par********さん

2010/2/1010:19:00

対独宣戦布告。

ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が勃発しましたが、なぜ攻撃を受けていないイギリスとフランスがドイツに対して宣戦を布告したのですか?
それまではラインラント進駐、オーストリア併合、チェコスロバキア併合とイギリス、フランスは宥和政策でヒトラーに好き勝手させてきました。
しかしポーランドが攻撃を受けると宣戦を布告しましたね。
何故ですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

fj1********さん

2010/2/1019:24:32

それまではストレーザ戦線という、ドイツに対抗する目的で作られた国家間の協力がうまくいかなかったり、ドイツの意図が良く分からなかったりした結果、英仏はドイツに対する強硬姿勢を徹底できなかったのです。特にミュンヘン会談の結果、チェンバレンがヒトラーの要求を呑んだのは、ドイツの要求がドイツ人による民族自決の実現、すなわちドイツ系住民居住地域であるズデーテンラントのチェコからの割譲に留まるものである、ということについて、チェンバレンが納得したからでした。

いうなれば、それまでのドイツの現状変革の要求は、当時の国際秩序のあり方から見て必ずしも理不尽なものではなかったのです。ドイツはヴェルサイユ条約で厳しい軍事的・領土的な制約や賠償責任などを課せられましたが、これは特に英国などから見れば不当にドイツの地位を貶めるものでもありました。それに第一大戦後、米大統領のウィルソンの提案で欧州では民族自決権の実現というものが強く主張されていた訳で、戦勝国たる米英などがその主張に賛同しつつ、肝心なドイツには民族自決を認めないというのはそもそも理不尽な話でした。

ドイツのラインラント再武装化、オーストリア併合、ズデーテンラント割譲要求などは全てこの民族自決という発想に沿ったものだったのです。ラインラントはもともとドイツ領でそれをドイツが自分で管理できないのはおかしいし、オーストリアも同じドイツ系国家なのでヴェルサイユ条約がドイツとの併合を禁じているのはおかしい。それに同じくチェコスロバキアの独立は良いとしても、その中にドイツ人居住地域が含まれてしまい、ドイツと分断されていることはやはりおかしい。そう考えるなら、ミュンヘン会談時点までのヒトラーの要求は必ずしも英国にとって理不尽なものとはいえなかったのです。

ところがヒトラーはミュンヘン会談での英国との合意に違反してチェコ全土を併合し、スロバキアを保護国化しました。これは明らかにドイツ人の民族自決を達成すると言うヒトラーの「建前」に反する行為であり、この時点で英仏にはようやく、ヒトラーの狙いがドイツ人の民族自決の達成などではなく、全欧州の征服を目指す犯罪的なものであることが理解できたのです。よって、英仏はその後のドイツの要求には断固として立ち向かう決意を固め、ポーランドに軍事的保障を与えたのです。

そして同時にソ連との同盟交渉に入った訳ですが、不幸にしてソ連は英仏を信用せず、あろうことかヒトラーと手を組んで独ソ不可侵協定を結び、ポーランド分割に加担しました。結果、英仏はドイツとの戦争が避けられなくなった訳なのです。

質問した人からのコメント

2010/2/11 10:03:39

成功 詳しく説明していただいて感謝です。
よく解りました。
皆様、ご回答頂きましてありがとうございました。

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cid********さん

2010/2/1017:58:45

まず、当時の英仏はナチスドイツの軍事力を過大評価していました。
また、第一次世界大戦の後遺症とその後の疲弊のせいで、英仏ともドイツ領域を攻撃できる軍事力を保持していない状態でした。ついでに言うと、いずれの国の世論も基本的には「戦争はこりごりだ」で一致していました。

このためラインラント進駐という完全なハッタリでしかない行動にも、実力で対応することが不可能な状態でした。仮に英仏がドイツの内情を完全に掴んでいたのであれば、適当に抽出した部隊を送って撤兵を通告するだけで片付いたんじゃないかとか思いますが、後世の後知恵です。

さて、話は進んでミュンヘン会談ですが、このときにヒトラーは「これで領土拡大は打ち止めです」と約束したし、英仏はこれを全面的に信じたわけではないにせよ、それでヒトラーが止まるならそれでいい、と考えました。

同時にイギリスは空軍力の拡大に全力を投じており、
http://books.google.com/books?id=Vj3vrxh1CCAC&lpg=RA1-PA323&hl=ja&p...
にあるように、「あと1年」の時間が絶対に必要だと認識していました。(ちなみに同時期のフランスはhttp://stanza-citta.com/bun/2008/04/15/61などにあるように、航空産業がかなりメタメタな状況でした)

で、ミュンヘンでの約束を破ったことで英仏はついにヒトラーとの対決以外に道はないと腹をくくり、次の拡張主義の対象となったポーランドに安全保障を与えます。
ヒトラーはそれまでの外交政策の成功で有頂天というか自信過剰になっており、この変化を見落としています。もっとも独裁国家の元首が議会制国家の政治的決断を読み損なうのは珍しい話ではなく、ある意味当然の展開だったかもしれません。

何にせよポーランドに対して完全な安全保障上の約束を与えていた英仏にとって、ドイツによる武力侵攻が始まると選択の余地はなく、戦争を始めるしかありませんでした。
仮にポーランドに与えた約束がもっと拘束度の低い物であれば開戦しないという自由もあったかもしれませんし、あるいはそうであればポーランドがヒトラーに対して妥協してこのときは戦争にならなかったかもしれません(もっとも、http://stanza-citta.com/bun/2008/10/20/194にあるようにヒトラー政権の軍拡は自転車操業そのものだったので、いずれは戦争になったと考えるべきでしょうけれども)。

2010/2/1011:46:06

ポーランドと英仏は防衛条約を結んでいました。そのため両国は参戦しました。

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