ここから本文です

ジョン万次郎ですが、気になったことがあります。

h_kanata07さん

2010/2/1016:50:36

ジョン万次郎ですが、気になったことがあります。

15の時に無人島からアメリカの舟に拾われて、アメリカへつれてきましたよね?
よく思うんですが、当時の日本は鎖国中。そこに親が待っているじゃないですか?
普通は、「彼は保護しました。日本に帰還します」って連絡をするじゃないですか?
アメリカの舟で日本に連れて行ったら、やばいことなんですか?
「これはまずいからこのままでいっちゃおう」ってことで、黙って彼をアメリカへ連れて行ったのですか?
もし、そうだとしたら、誘拐とか拉致とかで犯罪にならないですか?
アメリカに着いた時、みんなから何かいわれたの?「海から拾ってきた」みたいなこととか?

数年後、日本に帰国したとき、家族はどうなったのか気になりました。
お母さんとお兄さんは病気で・・・とありましたが、彼がいなくなったときに、どんな気持ちだったのか?
「漂流したってことは、もう死んじゃったかも?」とか思ったのかな?
でも、まさかアメリカに行っていたなんて知らなかったんだろうなあ・・・。

教えてください。

閲覧数:
1,615
回答数:
5

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

mekuriya394さん

2010/2/1017:14:53

当時は連絡しようにも連絡する手段がありません。ジョン万次郎は生きて帰国できただけでも物凄い幸運なケースです。江戸時代以前から日本人漁民は至る所に漂着しまくりで、ほとんどのものは生死不明で歴史に名前すら残っていないのだ。明治になってからですら、台湾に漂着してしてしまった琉球の御用船は現地の蛮族に虐殺されてしまいました。カムチャッカ半島に漂着してアイヌに救われたデンベエは殺されはしなかったけど、露西亜に強制連行されてサンクトペテルブルク の日本語学校の校長として一生を終えました。それは何百年も経ってから、露西亜の記録で判明したことであって、当時のデンベエの家族は当然デンベエは死んだものとあきらめたはずです。世界に漂流民をわざわざ送り届けてくれるなどというお人よしはいません。そうしたところで不審船扱いされて徳川幕府に砲撃されて追い払われるかも知れません。戦争しに来たのではない、漂流民を送り届けに来ただけだといっても、それすら伝える手段が無いのです。ジョン万次郎は本当に信じられないぐらいの幸運の積み重ねで帰国できたのです。それでも徳川幕府の木っ端役人にはアメリカかぶれに毛唐の手先として警戒する向きもありましたので大変です。そういうわけですから、昔は船に乗るということは命がけであり、それが今生の別れになるかも知れないと、そういう悲壮な覚悟で家を出て、家族は送り出したのです。だから神社に行って、無事帰れますように、豊漁でありますようにと必死で祈願したのです。

この質問は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜4件/4件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

birdea37さん

2010/2/1020:24:07

津本陽さん がジョン万次郎の小説を書いていますが
それによれば万次郎は土佐の漁師の生まれです。
土佐はサムライの身分差別が激しく上士と郷士は
ヒトとサルぐらい差別されていてみたいなことが今の
nhk日曜夜八時大河で誇大に描かれていますが
サムライがそうなのだから漁師の身分差別は
もっと酷かったらしく漁師は網本から手元まで
漁師はピンからキリまであり閉鎖的なタテ社会で
漁は危険な稼業だから親方の命令は絶対服従なのは
無理もなかったとして、それでも下層漁師は
奴隷どうぜんだったらしく万次郎も、そういうところの出で
漁で小さいころからコキ使われていたらしく
遭難して助けられたアメリカの捕鯨船は
過酷な環境のところとはいえ民主的なところで
アメリカへ上陸して、日本と、あまりに違うアメリカの
身分差別が日本と比べて全然ちがうので
驚いて日本も こうでなければいけないと万次郎は
思ったということです。
万次郎はアメリカ市民として働いて財産をなすほど
裕福になったころ、日本が明治になったころ
日本に帰国したというそうです。
そこで彼は東京では乞食が増えていたので
彼は土佐の漁師の手元をやっていた自分を見るようで
人事とは思えなかったのか乞食たちへの
慈善事業を熱心にしたそうです。

2010/2/1018:23:05

一応、外国船打ち払い令の撤回を知らなかった、
という事になっています。

日本とアメリカには国交がなく、
日本もアメリカに通達はしていませんでした。
本当に知らなかったかどうかは怪しいですが・・・。
そもそも、中国とも韓国ともオランダとも長崎の出島で外交していましたが、
アメリカ政府にやる気があれば、帰国させることができたはずです。

救助されたのは、万次郎一人ではなく、
寅江門など複数だったはずですが、日本に帰国できたのは
万次郎一人です。
少なくとも寅江門は死んではおらず、自らの意志でアメリカに残ったはずです。

さて、簡単に事実関係をまとめると、

一八四一年 中浜万次郎は漂流、アメリカ船ジョン・ハラウンド号に救助され、以後ジョン・万次郎と名を変える。

一八五〇年 アメリカ船に乗り、日本を目指す。

一八五一年 琉球、つまり沖縄に到着、長崎の出島で尋問を受けた後、めでたく故郷に帰還する。

一八五三年 ペリー浦賀に来航、ジョン・万次郎は幕府普請役格になる。

一八五七年 軍艦総練所の教授方

明治維新後は開成学園教師


本来ならジョン・万次郎は難民であり、アメリカ政府が日本と交渉すべき問題ですが、アメリカ政府は、そうした対応は取らず、万次郎は、捕鯨船や鉱山で帰国資金を貯め、大冒険の末に日本に帰国した訳です。
ジョン・ハラウンド号の人々はすごくいい人で、いろいろと支援してくれたそうです。でなければ、ジョン・万次郎はのたれ死んでいたでしょう。美談ではありますが、アメリカ政府の対応には疑問が残ります。
今とは時代が違う。そうおっしゃる人もいるかも知れません。
しかしながら、ロシアは一七九二年に大黒屋光太夫を日本に帰国させています。
ジョン・万次郎が旅費を稼ぐために鉱山でがんばったのに対して、
大黒屋光太夫の場合はロシア政府が生活費から旅費から全て賄いました。
えらい違いです。

民主主義国だから、人権が尊重され、
絶対君主国だから、人権は蹂躙される。
この考えがいかに偏見に満ちた誤った考えであるかを
ジョン・万次郎と大黒屋光太夫という二人の難民の政府の対応で、明らかになるといえます。

kotori672007さん

2010/2/1017:38:09

そういうことは、井上靖の「ジョン万次郎漂流記」とか津本陽の「椿と花水木」を読んでから、訊いた方がいいと思いますよ。
ちゃんと載っていますから。

江戸幕府は余りに頻繁に外国船が日本沿岸に来るため、「異国船打ち払い令」という、超乱暴な命令を出していました。「異国船を見たら何も考えず、大砲をぶっ放せ!」と言う命令で、これによって米国船モリソン号が被害を受け、のちに日本国内で「蛮社の獄」を引き起こす原因にもなっています。
ですから、送り返してやりたくとも、出来なかったのです。

一応、日本に近いハワイに漂流民を下ろしましたが、ホイットニー船長は若く利発な少年・万次郎に目をかけ、「アメリカで本格的に勉強しないか?」と誘ったのです。
万次郎は承諾し、フィラデルフィアのホイットニー船長の家に同居し、実の息子のように可愛がられました。
ホイットニーは人格者で差別をまったくせず、万次郎を「猿」呼ばわりした町の司教と大喧嘩しています。
彼は万次郎を「わが息子である」と皆に紹介しています。
ホイトッニーはのち後妻を娶っていますが、この女性も実によく出来た人で万次郎がいることを知っていても結婚し、彼女も万次郎を可愛がりました。

当時日本とアメリカは国交がありません。お互い大使館も領事館も無く、連絡手段が無いのです。
少し後、ペリーが真っ先に要求したのが「日米和親条約」であったことの意味を考えましょう。
国同士のお付き合いをしないと、ほかのことは何も出来ないからです。
近いハワイなら、場合によっては帰国できるかもしれない……ホイットニー船長の苦渋の決断でした。

日本は幕府のせいで、嵐にあうと速攻で難破するような船しか作らせて貰えず、江戸時代漂流者の数は数え切れないほど。
運が無いと助かりませんから、難破したと聞くとほぼ「死」を覚悟したものです。
万次郎よりずっと以前ですが、大黒屋光太夫がロシアから帰ってきたとき、北海道までは3人でしたが上陸目前で一人が亡くなり、とっくに死んだと思っていた彼の妻は、目前まで生きていたことを知って卒倒したほどです。

ジョン万次郎も優れた人物ですが、とりわけ彼を保護したホイットニー氏は素晴らしい人物で、彼のことをロクに知りもしないで誹謗するのは許せません。
そもそも、万次郎が漂流したときの大統領はテイラーで、その後はフィルモア(ペリーに親書を託した大統領)です。
セオドア・ルーズベルトはこのあと30年位後の大統領です。

nasuno27さん

2010/2/1017:14:31

漂流中の万次郎を救ったのは小笠原近海で操業中の捕鯨船、船長も乗組員も皆親切だったそうです。アメリカに連れて行ったのは操業日程から日本に寄港するゆとりもなく、また鎖国中の日本に寄ることが大変危険性があると感じた様です。船長はアメリカまで連れて行くことを万次郎に理解させ、万次郎も納得したそうです。船長は帰国後、万次郎を時の大統領のルーズベルトにひき合せ、手厚い保護が受けられるよう働きかけたそうです。
アメリカとしては、日本開国交渉の際の、おみやげとともに通訳として利用する意図があったのかもしれません。事実教育を受けるなど大変大事にされたそうです。

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。