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相撲の貴乃花って誰ですか?どんな人ですか?教えてください!

hap********さん

2010/4/2120:26:43

相撲の貴乃花って誰ですか?どんな人ですか?教えてください!

当時大ブームだたと聞きました
そこらへんも詳しく教えてください!

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roc********さん

2010/4/2121:20:46

優勝22回は単独5位の記録であり、平成の大横綱と称されている。

身長185cm、体重155kg(いずれも全盛時)。少年期~中学生時分にはいわゆる肥満児だったが、入門後一度ガリガリにやせた後で、その上に徐々に肉がついていくという、相撲取りとして理想的とされる成長の仕方をした。特に初優勝から大関へ駆け上がる時期の変貌ぶりは鮮やかで、それゆえにドーピング疑惑まで取りざたされたほどだった。肩幅広く、鳩胸で太鼓腹、あと胴長短足なら力士の理想像そのものとまで言われたが、最後の点だけは当人もどうしようもなかった。又、横綱正装姿はとても絵になったが、いざ土俵入りとなると四股は美しかったが、肝心のせり上がりが低く、構え過ぎであると酷評され、あまりの酷さに当時の境川理事長が激怒した事もあった。この点、四股に注文がつけられたものの、せり上がりが評価されるようになった曙と好対照をなす。

東京場所で強かったが特に9月場所(秋場所)とは相性が良く、通算で6回優勝、1994年から1998年まで5連覇、3年連続全勝、48連勝などを記録した.現役中、右四つ、寄りを得意としていたが、時に左四つの相撲や突き押しも見せるなど、取り口は多彩。横綱昇進後は、安定感のある下半身で、200キロを超える力士ですら正面受け止める、いわゆる「横綱相撲」なのであるが、細かい技を組み合わせて相撲を取っているために見た目決めてかかる技がない事や、当時は千代の富士の先に勝負を仕掛ける攻撃相撲のために既に横綱像も本質的に変化していた事などが相まって、存在感はあってもずば抜けた力強さや威圧感はないと評された事もあった。場所の序盤から中盤で優勝争いのトップに立てば独走する一方、千秋楽までもつれたときや優勝決定戦での敗退の多さが、「ここ一番での勝負弱さ」を印象付けることにもなった。このため「並の名横綱」との評価もある。22回もの優勝を果たしながら期待ほどの優勝回数ではなかったとも評されるのは、若手の頃の期待感の大きさを表すものでもある。これらの批判に対し「基本に忠実であることが貴乃花の得意」「貴乃花は得意のないのが得意」という評価もあった。全盛時の相手に得意の技を全く出させず着実な寄り身で完封してしまう取り口は、まさに貴乃花の相撲の真骨頂であった。

優勝回数については、貴乃花の時代には同時期に外国人・日本人力士の強力なライバルが多数存在したため、それまでの日本人大横綱達や、のちの外国人横綱と同列に評価することが不可能である。実際、彼と同時期に横綱まで上り詰めた曙、武蔵丸は10回以上優勝を経験しており、千代の富士の時代ですら、10回以上優勝した横綱は北の湖のみであった(しかも、千代の富士が横綱まで上り詰めた翌年にはすでに成績は下降していた)。他にも兄の横綱若乃花、彼の引退後に大関まで上り詰める魁皇等、時代の変わり目の中で、日本人力士・日本人横綱としてのプライドを唯一保ち得た稀代の横綱とも言える。実際、彼が引退してから現在に至るまで、日本人横綱は誕生していない。また、曙や武蔵丸などの2m近い身長と、200キロを超える大型力士の登場を境に力士の大型化が進み、それに対抗するためか自身も千代の富士のような筋肉質の体から、肉をつけて体重を増やしていった。しかし、過度の体重増や、大型力士同士のぶつかり合いは体に負担をかけ、これが怪我の原因となってしまうことも多かった。何かと記憶に残る取り組みも多く、10代で横綱千代の富士破り引導を渡したことや、ライバル曙との名勝負、兄若乃花との兄弟での優勝決定戦、右膝半月板を損傷しながら土壇場で優勝するなど、優勝回数や記録だけでははかりえない横綱であったといえる。

しかしながら、同時代のライバル曙と比べ豪快さに欠けるとの評を気にして、伯父の初代若乃花の必殺技だった「呼び戻し」を試みるなど、完成間近だった相撲を自らおかしくしてしまう時期もあった。また、若貴ブームの雑音の異常な大きさは本人たちにとっては時に耐え難いものであったかもしれないが、他者の評価に真摯な性格が相撲の取り口に悪く反映してしまい、みすみす負けを呼んでしまっているように見える場合も多々あった。千代の富士を倒した場所でその後なかなか白星を上げられなかったり、婚約場所になった1992年(平成4年)11月場所で序盤に4連敗してしまった例などは、雑音に負けてしまった例と言えよう。一時期、マスコミ人を一様に無視する態度から相撲記者やカメラマンとの間で深刻な対立を招いたこともあった。師匠二子山や兄弟子の安芸乃島らの仲裁・助言もあって、こうした面は徐々に緩和された。

なお、初土俵以来本場所ではガチンコ(真剣勝負の意)を貫いたと言われており、当時怪我だらけだったのも八百長と勘違いされるような相撲を取りたがらなかったためと言われている。

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