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湯口事件、というのはどういう事件だったんですか?

アンチ巨人さん

2010/8/2106:11:49

湯口事件、というのはどういう事件だったんですか?

補足早速の回答、ありがとうございます。
結局、湯口選手は死因は…?
自殺だったのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

sil********さん

編集あり2010/8/2106:20:35

wikiから転用(笑)

まぁ、読んでみて
http://www2.plala.or.jp/ippeifuji/p-k2-29.htm

死因は心臓麻痺。
上記より自殺は間違いらしい。

質問した人からのコメント

2010/8/21 06:33:41

感謝 あまりにも残酷な事件ですね。
ここまでいかなくても、球団内のイジメとか他球団にもあるのかもしれません。
つい、この間も西武の大久保コーチの問題が話題になりましたし。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

kio********さん

2010/8/2106:13:48

湯口事件(ゆぐちじけん)とは、読売ジャイアンツの湯口敏彦投手が1973年3月22日に急死したことをきっかけに、当時の川上哲治監督はもとより、球団全体へのバッシングに発展した事件。

発生に至るまでの経緯 [編集]
巨人は1965年に川上哲治監督のもと2年ぶりに日本一を達成し、以降1973年まで日本一連覇を続け前人未到のV9を達成する。日本一連覇の新記録となった4連覇を達成した1968年からドラフト1位指名選手を即戦力から将来性重視の方針に切り替えた(即戦力クラスを指名したこともあったが、結果的に即戦力→主力とはなりえなかった)。1970年のドラフトでは岐阜短期大学附属高等学校の湯口敏彦を指名し獲得した。

湯口は島本講平(箕島高等学校)・佐伯和司(広陵高等学校)と共にこの年の「高校三羽烏」に数えられ、プロでの活躍も期待されていた。しかし、入団直後は二軍で育成するチームの方針から二軍での調整が続く。1年目は肘の故障もあり二軍戦に17試合登板して5勝6敗と思うような結果が出ず、2年目は1年目に記録された76四死球を問題視され、フォーム改造を受けたが(後に中村稔2軍投手コーチにより、フォームは元に戻された)、2勝3敗という結果だった。しかしながら数字的な結果を残せなかったものの、同シーズンの後半からは球団首脳陣からも評価され、年俸は上昇した。

この頃から湯口はうつ病の発作が見られるようになった。そして2年目のシーズン終了後の1972年11月23日、ファン感謝デーの紅白戦で、この前日に無礼講の例会があったこともあり体調が優れない中で登板。打者一巡・2ホームランの滅多打ちに遭い、これにより、川上監督をはじめ二軍監督の中尾碩志からも激しく叱責された。さらにこの夜湯口は寮に戻らなかった。これに対し中尾は湯口を拳で殴り、湯口はうつ病を悪化させた。11月27日の納会では誰が話し掛けても無言で、視点も定まらなかった。11月28日チームドクターからうつ病と診断され、11月29日には、都内の病院に緊急入院をする。

明けて翌1973年1月10日には東京都新宿区の晴和病院(当時内村祐之が院長だった)に移される。うつ病の発作に回復の兆しが見え始めたが、マスコミの追及を恐れた球団側の意向により、2月15日には多摩川グラウンドに復帰、2月19日から宮崎県宮崎市で行われた春季キャンプに参加した。ところが、淡口憲治が話し掛けても反応しない、また奇声を発する等のに気づき、強制送還(藤本マネージャーも同行)した。空港到着後もロビーで奇声を発したり暴れたりしたために取り押さえられ、再び入院させられた。3月22日湯口は病院のベッドで変死体となって発見された。
球団・病院は「湯口敏彦投手の死因は心臓麻痺である」と発表したが、「湯口は自殺し、その原因は球団にあるのではないか」と非難されることとなる。

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