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戦国時代などで、大きな戦の時に討ち死にした兵の沢山の遺体は、戦後どのようにな...

akl********さん

2010/9/2000:55:02

戦国時代などで、大きな戦の時に討ち死にした兵の沢山の遺体は、戦後どのようになったのですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

mat********さん

2010/9/2016:04:04

川中島の戦いをとって説明します。
この戦、たくさんあるんですが、とりあえず一番最後ので。

武田信玄公が敵も味方も関係なく埋葬してあげたそうですよ。

ですから、ほんとに因縁とかない限り双方の武将たちで
弔ってあげたと思います。

質問した人からのコメント

2010/9/22 11:12:29

皆さんありがとうございました。
最後の一文、そうであって欲しいと思います。

ベストアンサー以外の回答

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tar********さん

編集あり2010/9/2018:39:30

>戦後どのようになったのですか?

基本、「神社、お寺」が埋葬します。

その際に、近くの「農村」から人が借り出されますが
これは当時の「農村、寺社領」の賦役の一部で
そのようになっていたのです。

「死体」を野ざらしにするということは端的に
疫病の蔓延をさしますので、日本では古代の頃から
「首(人)塚」にしろ何にしろ燃やすか、埋めます。

また埋葬後、戦勝国に「神社、お寺」が埋葬代を請求します。
戦国時代の今川氏が「お寺」から
「埋葬代をまだいただけていません。下さい。」という
裁判を起こされたりしています。

他の解答者で「首塚から人骨が出てきた。」と書いていますが
それは当時の人が埋めた場所を考古学のため掘り出した
もので「首塚」と言います。

jue********さん

編集あり2010/9/2012:19:30

名の無き者は塵に等しく 花を手向けるものもなし
名のあるもののみ祭られむ

最近話題になった戸籍の問題が身近な例ですね。
アメリカの空襲で一般市民が大量に虐殺された結果、
行方不明者と死亡者の区別をする方法も無く、何十万もの
戸籍が残ったままになっていました。
戦後処理がまだ終わっていない一例ですね。

poi********さん

2010/9/2012:08:29

支配権が安定しない時は野ざらしでしょ。村の近くなら村人が弔う事もあります。

多くの場合勝者側が、名のある者の首以外は現地で埋めてしまいます。
この作業をする役目を「黒鍬者」といいます。

黒鍬は死体処理だけでなく小荷駄の運搬、野戦築城、架橋など後の工兵の働きをしましたが、身分は低く江戸時代になっても苗字帯刀が許されませんでした。

grp********さん

2010/9/2001:23:04

終戦後に遺体を弔う事が出来るようになるのは、圧倒的に強弱が付いてからで、いやついてからも野ざらしとなる事が多かったようです。

三河物語という当時を生きた大久保忠教の著書によると、大阪の陣での戦死者で内堀が堰きとめられるほどであったとか。

また武田信玄の例を出しますと、彼は上田原の戦いで惨敗をきし最重鎮二人を戦死させるという痛手をおいました。
しかしその後そのあたりを領し、付近で川中島の合戦を迎えるという時に上田原の戦死者を厚く弔ったとあります。

また戦国時代ではありませんが、鎌倉末期の大激戦分倍河原の戦いが行われた分倍河原ではいまだに人骨が発掘されるそうです。

iyk********さん

2010/9/2001:03:23

ケースによってでは?
場所によっては合戦場となった場所に野ざらしのままにされており、後に発掘調査で人骨が出てくる場合もある。

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