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頼朝が鎌倉に入った頃は特段な勢力ではなかった北条氏がどのような手段を用いて独...

t1t********さん

2010/9/2810:47:16

頼朝が鎌倉に入った頃は特段な勢力ではなかった北条氏がどのような手段を用いて独裁体制を確立していったかのですか?

補足対有力御家人、要職の掌握、対朝廷、対将軍、一般御家人の人心掌握等

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bor********さん

2010/9/2811:07:55

やはり頼朝に最初から手を貸していた、ということで存在感があったのでしょう。
最初の頃に頼朝に手を貸すということは、北条にとってかなりのバクチだったと思います。

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gre********さん

2010/9/2903:49:10

三代将軍源実朝が暗殺されてから四代目の頼経が将軍になるまで7年の空白がありました。
頼経が鎌倉に呼ばれた当時、二歳で若すぎたためです。

その時に鎌倉幕府を治めてたのが北条政子です。
源頼朝の正室という立場もありますし、北条政子の実績から、北条氏が鎌倉幕府の中でもトップの地位を確立したのではないでしょうか。

kie********さん

編集あり2010/9/2811:53:20

頼朝が鎌倉に入ったときはすでに関東武士団のリーダーでした。そのスポンサーだったのが北条氏ですから、頼朝側近としても大きな存在でした。さらに北条時政の娘、政子を頼朝の嫁にしたことです。
頼朝はプレイボーイでしたから手を出したのはより友かもしれませんが、時政が巧妙に仕向けたかもしれません。すると次期将軍の外祖父になりますから大きな権威を身につけることが出来ます。こうしておいて、三浦などライバルを消していきます。時政の息子(政子の弟)の義時のときになると将軍すらも排除して、執権として独裁体制を築きます。公家からお飾りの将軍を頂いて北条は得宗家として続いていきます。

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