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東京ドームってからくりドームという奴は何を根拠に言っているんですか? 国際試合...

kan********さん

2010/12/518:52:08

東京ドームってからくりドームという奴は何を根拠に言っているんですか? 国際試合(アジアシリーズ WBCの予選 日米野球等)はすべて東京ドーム開催です 空調でHRとか根拠なき因縁を言ってますよね

実際空調でHRは出来ません 根拠ってあるんですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

ken********さん

2010/12/600:46:57

卑怯なからくりがあるとは思ってないが、他のドーム球場と比べて東京ドームが狭いことと無風(これは他のドームも)なことからホームランが出やすいのは事実。
実際12球団の本拠地で一番ホームラン数が多いし。

だからアンチはそのことを大袈裟に言ってるんだと思う。
多少なりともホームランが出やすいのは事実であることは巨人ファンにも分かってもらいたい!!

質問した人からのコメント

2010/12/11 21:34:41

分かりました ありがとうございました

ベストアンサー以外の回答

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aah********さん

2010/12/520:29:25

根拠なんかありませんよ。
巨人に対してイチャモンを付けるのが趣味のアンチが言っているだけです。

rou********さん

2010/12/519:18:13

何だ↓のアンチ内容は?病気か?アンチ松井にもこんな奴いたな。

一般的にドームはHRが出易いと言われています。
これは東京に限らず、大阪、名古屋もですね。
これは空調ではなく逆に風の影響が無い為と、気圧が安定している為ですね。

龍帝さん

2010/12/518:57:12

川上監督は死去の際声明を発表したが、この時「巨人こそ大被害を受けましたよ。大金を投じ年月をかけて愛情を注いだ選手なんですから。せめてもの救いは、女性を乗せての交通事故でなかった事です」と発言した

川上監督は死去の際声明を発表したが、この時「巨人こそ大被害を受けましたよ。大金を投じ年月をかけて愛情を注いだ選手なんですから。せめてもの救いは、女性を乗せての交通事故でなかった事です」と発言した

湯口事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E5%8F%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
1年目は肘の故障もあり二軍戦に17試合登板して5勝6敗と思うような結果が出ず、2年目は1年目に記録された76四死球を問題視され、フォーム改造を受けたが(後に中村稔2軍投手コーチにより、フォームは元に戻された)、2勝3敗という結果だった。しかしながら数字的な結果を残せなかったものの、同シーズンの後半からは球団首脳陣からも評価され、年俸は上昇した。

この頃から湯口はうつ病の発作が見られるようになった。そして2年目のシーズン終了後の1972年11月23日、ファン感謝デーの紅白戦で、この前日に無礼講の例会があったこともあり体調が優れない中で登板。打者一巡・2ホームランの滅多打ちに遭い、これにより、川上監督をはじめ二軍監督の中尾碩志からも激しく叱責された。さらにこの夜湯口は寮に戻らなかった。これに対し中尾は湯口を拳で殴り、湯口はうつ病を悪化させた。11月27日の納会では誰が話し掛けても無言で、視点も定まらなかった。11月28日チームドクターからうつ病と診断され、11月29日には、都内の病院に緊急入院をする。

明けて翌1973年1月10日には東京都新宿区の晴和病院(当時内村祐之が院長だった)に移される。うつ病の発作に回復の兆しが見え始めたが、マスコミの追及を恐れた球団側の意向により、2月15日には多摩川グラウンドに復帰、2月19日から宮崎県宮崎市で行われた春季キャンプに参加した。ところが、初日に同室の淡口憲治が話し掛けても反応しない、また真夜中に奇声を発する等の異常に気づき、淡口は藤本健作マネージャーに報告した。事態を重く見た監督らは翌日2月20日、湯口をキャンプから脱退させ、強制送還(藤本マネージャーも同行)した。羽田空港到着後もロビーで奇声を発したり暴れたりしたため空港警備隊に取り押さえられ、再び晴和病院に緊急入院させられた。なお、球団は3月に入ってから、内規により入院費の支給を打ち切っている。

巨人のイメージ低下 [編集]
巨人は1973年のドラフト会議で7人の選手を指名するが、1位の小林秀一、2位の黒坂幸夫、3位の中村裕二、5位の尾西和夫の4人が入団拒否し、入団したのは3人だけだった(3人のうち2人は、既に練習生として所属していた)。拒否した4人のうち3人がドラフトの上位指名1位から3位であった事からマスコミは「天罰だ」と騒ぎ立てた。2010年現在、小林秀一は巨人のドラフト1位指名を拒否した唯一の選手である。ドラフト1位指名で入団拒否した小林は自分がアマ指導者になる意向を無視して指名したことに不快感を示していた。ドラフト2位指名で入団拒否した黒坂は「自信もなかったですが、湯口選手の件もありましたしね・・」と拒否の理由にこの一件があったことをはっきりと語っている(なお黒坂は1976年にヤクルトにドラフト4位で、尾西も同年に近鉄にドラフト2位で入団)。

なお、この年に入団した4人(ドラフト外入団の1人を含む)のうち、一軍公式戦に出場した選手は4位の迫丸金次郎のみであった。巨人への入団を拒否し、後に他球団に入団した黒坂と尾西(共に投手)は、いずれも公式戦出場は果たしたものの、通算0勝に終わっている。

湯口の急死は「自殺」でその原因は球団の湯口に対する態度にあるというバッシング報道が加熱したように、湯口事件のバッシング報道の先導役は、男性向け総合週刊誌の業界であった。当時の球界の盟主たる巨人へのバッシングが、むしろ発行部数の増加や売上増に繋がるという事を示した事件となった。

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