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大隈重信の演説「憲政における輿論の勢力」 《至急回答お願いします!》

zuk********さん

2010/12/823:09:21

大隈重信の演説「憲政における輿論の勢力」
《至急回答お願いします!》

大隈重信の演説「憲政における輿論の勢力」の行われた時期・背景について教えてください。
回答者様の意見なんかもあったら教えてください。

輿論,憲政,大隈重信,演説,勢力,政友会,大浦兼武

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ベストアンサーに選ばれた回答

編集あり2010/12/912:19:23

大隈重信の演説「憲政における輿論の勢力」は、1915年に録音され、日本の衆議院総選挙における初のレコード演説での選挙活動です。
他に憲政の神様・尾崎行雄のレコードもあります。
保存状態が悪い上、80歳近くになっての演説のため、あまり聞き取れませんけどね。
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/DL_douga/ct/ct_45a/CT-45A.mp3

まず社会背景としては、大正政変によって桂内閣の長州閥が倒れるなど大正デモクラシーの機運が醸成され、さらにジャーナリズムの隆興、明治初頭からの義務教育(小学校令)による識字率の向上、文明利器の発展が大いに関係しています。
また閣僚が各地に応援演説に行くようになったのもこの時です。
もっとも、選挙自体は、内相・大浦兼武の選挙大干渉と、以後の選挙資金が飛躍的に増大し、悪名も高いのですが…。
(結果は大隈側の大勝利)

政治的背景としては、1914年に成立した第二次大隈内閣は当初より政権基盤が磐石でなく、早くから解散を考えていましたが、選挙に勝つためにまず「実績」を示す必要がありました。
これはかつて板垣退助と組み「初の政党内閣を実現」したものの、内紛によりわずか4ヶ月で倒閣し、これといった実績も残せなかったことも関係しているでしょう。

解散総選挙の理由として、1914年の内閣発足直後、第一次世界大戦が本格化し、日英同盟に基づいて8月にドイツ宣戦布告し、ドイツが中国に租借する膠州湾(特に青島)や、その他の南洋諸島を11月頃に占領して「実績」を残しますが、第35回帝国議会にて12月に臨時軍事費増額問題で紛糾し、政友会・国民党が増師案に反対したため、解散します。
(裏には元老の山県有朋と野党の政友会の原敬が「陸軍の2個師団増設」を1年延期で了解したことで「勝算あり」と考えたことなど、いろいろありますが、字数上割愛します…。)

そもそも自由民権運動の時期よりイギリス流の立憲君主制を範とする大隈にとって、立憲制施行と国会の開設(1890年)と共に薩長閥という有司専制が長年政権を握ることは終わるべきとの考えでした。
したがって、議会制民主主義に移行するにあたり、「輿論」とは国民の信を問うことによって実質的な憲政を支え、その意を汲んだ政治によって国家を発展させるという、当然すぎる前提でした。

ゆえに、この演説でも、
「国家の勢力は、何によって導かるるというと、すなわち輿論である。」
「この輿論の勢力によって、議会が集中されて帝国議会の威厳、帝国議会の信用がここに成り立つのである。」
「かくのごとき憲政は、輿論によって導かるるものである。」
と雄弁をふるっています。

余談ながら、選挙期間中、後に大問題となる「対華二十一か条の要求」を中国に突きつけますが、その最後通牒は選挙後の5月なので、特に問題となりませんでしたが、国際問題として発覚した際、政友会の原敬から激しい非難を浴びました。

質問した人からのコメント

2010/12/10 21:35:08

ありがとうございます。
ちょうど世論が戦時に反映されるさきがけとなった時代なんですね。

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