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ベトナム戦争で、アメリカ軍が撤退後、ベトナム軍はカンボジアに侵攻していますが...

zol********さん

2010/12/2012:22:35

ベトナム戦争で、アメリカ軍が撤退後、ベトナム軍はカンボジアに侵攻していますが、ベトナムのカンボジア侵攻の理由は何ですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

tho********さん

編集あり2010/12/2021:07:37

ベトナム戦争は、最終的に共産国の北ベトナムが民主国家の南ベトナムを侵略し併合したという形で終わっています。
南ベトナムの人々は必死で抵抗しましたが、反政府ゲリラのベトコンはもとより北ベトナムの正規兵によって30万近い大量虐殺が行われ完膚無きなまでに叩き潰されたのです。
その後北ベトナムは思想教育キャンプを設置して南ベトナムの人々を再教育し、あくまで抵抗する者達はことごとく追放しました。
これがボートピープル、ベトナム難民とされる人々です。

ですがこういった強引な弾圧によって南の世情は不安定化し、それによって統治が困難になっていきます。
それが故にベトナム政府は、外に敵を作って国内を団結させようとしたのです。

ちょうどその時期、隣のカンボジアはポルポト派・シアヌーク派・ソンサン派に分かれて内戦状態に陥っていました。
その中で一番勢力が大きかったのは共産勢力のポルポト派でしたが彼等は中国の支援を受けていました。
一方ベトナムはソ連の支援を受けていた国です。
当時の中国はソ連と同じ共産圏でありながらアメリカや日本などと手を結んでソ連の影響下を脱しようとしており、カンボジアが中国の衛星国として安定するとベトナムの最大の敵になる可能性もあったのです。

ちょうどその時期、ポルポト派の政治委員だったヘン・サムリンが政権争いで失脚しベトナムに亡命してきます。
ベトナムはこの人物をカンボジア民族救国統一戦線の議長に就任させ、彼等を傀儡にしてカンボジアに侵略戦争をしかけたのです。

ポルポト派が大量虐殺をやったからだと書いている方がいますが、これらはベトナム側の大義名分、つまりは真っ赤なウソです。
ベトナム軍はポルポト派だけでなくシアヌーク派・ソンサン派にも攻撃をおこないカンボジア全土を占領しようとしているのですから。
それが故にシアヌーク派・ソンサン派は一時的に手を結び、ポルポト派との対立もやめてカンボジア独立のため共通の敵であるベトナム軍に独立戦争をしかけているのです。

ベトナムは内乱状態の内にカンボジアを占領し傀儡政権を樹立して影響下に納めるつもりでした。
先の戦争に於いて捕獲した豊富なアメリカ製の兵器を持ち、実戦の経験も豊富な軍隊もあるので戦いの行方は容易に決すると考えていたのです。
だが、いったん戦争が始まるとベトナム戦争に於けるアメリカ軍と全く同じ困難がベトナム軍を襲ったのです。

カンボジアの濃密なジャングル、地図も満足に存在しない未開の地形、面従腹背の住民に混じったゲリラの存在、
こういった障害によってベトナム軍は徐々に劣勢に追いやられ泥沼の状況に陥っていきます。
結局侵攻から11年目の1989年、経済が破綻しこれ以上戦争を続けられなくなったベトナムは、目的を何一つ達成することもできず撤退することになったのです。

質問した人からのコメント

2010/12/25 16:22:08

降参 そうだったんですか。勉強になりました。
皆様、ご回答いただきありがとうございました。

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pitsanulok01さん

2010/12/2015:03:43

カンボジアでポルポト派が政権を取り、大量虐殺を行っている正にその間に、ポルポト政権内部では対立が起こり東部ベトナム国境地帯はポルポトは政府からの攻撃を受け、数十万人レベルの難民と反ポルポト派軍隊がベトナム国内に流入しました。
この対立もあって、ポルポト派兵士はその後もベトナム国境を越境して難民やベトナム人対象に度々虐殺事件を頻発させたため、腹に据えかねたベトナムが元ポルポト派指揮官の一人であるヘンサムリンを担いで行ったのがベトナムによるカンボジア侵攻です。
これによりポルポト派政権は崩壊し、地方に逃げて国内の虐殺が明るみに出ることになりました。

len********さん

2010/12/2013:13:57

ベトナムの社会主義政権は、ソビエトとの関係を深める中で中国とは対立関係になっていきます。中ソの反目という社会主義陣営内のごたごたの反映です。
もともと中国は、フランスなど足元にも及ばないくらい長い間北部ベトナムを支配し続けた国であり、ベトナム人はこう感情を持っていませんでした。
加えて、中国はシアヌーク政権、ポル・ポト政権と親密であったため、ベトナムにとってカンボジアは警戒すべき対象だったのです。
そこへ、ポル・ポト派の虐殺が始まり、旧敵のベトナムにすら助けを求める人々が逃げてきたため、大義名分を得てカンボジアに侵攻したのです。親中国政権を打倒できる上に領土が広がる(最悪でも傀儡政権を立てられる)というおいしい戦いだと思ったのでしょう。これに呼応して中国が「懲罰」の闘いを北部国境で仕掛けましたが、実戦経験者の多いベトナムが撃退しています。

toe********さん

2010/12/2012:29:10

ごく単純に、外患が去れば、本質的な対外進出欲がでて来る。

ま、チャンスだと思ったのでしょう。

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