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姜維の無謀な北伐さえ無ければ蜀は20~30年くらい続いたと思いますか?

s07********さん

2011/3/1922:20:21

姜維の無謀な北伐さえ無ければ蜀は20~30年くらい続いたと思いますか?

以下のホームページからの流用ですが
http://www.t3.rim.or.jp/~miukun/end%20of%20sangoku%20syoku.htm

姜維、無謀な大軍事攻勢が開始されました。彼は、毎年のように5万~10万の軍勢を動員し、蜀の桟道を越えて陝西省に攻め込みました。しかし、そのほとんどが戦略的にも戦術的にも大失敗だったのです。彼は、実は戦争が上手では無かったようです。出陣するたびに、数百人から数千人の味方の兵士を失っています。

蜀漢の国内では、国民の怨嗟の声が満ち溢れ、国力も国威もガタガタに低下しました。困った劉禅は、宦官たちと謀って姜維を逮捕しようと考えるのですが、それを察した姜維は理由をつけて成都に戻って来ず、なおも北伐を敢行するのでした。

これって、昭和の日本帝国陸軍みたいですな。シビリアンコントロールを喪失した軍隊の暴走ほど恐ろしいものはありません。
姜維の戦略で最悪だったのは、漢中の要塞陣地を片端から撤去してしまったことです。この要塞陣地は、亡き名将・魏延が10年以上の歳月をかけて築いた究極の防御施設でした。かつて曹爽の大軍が侵攻してきたとき、費禕と王平がこれを撃破できたのは、この見事な要塞のお陰だったのです。どうして姜維がそんなバカなことをしたのかと言うと、戦うたびに兵士が死ぬので遠征用の兵力が大幅に不足し、これを補うために要塞の防備についている兵士を転用したかったのです。
この結果、漢中の防備はスカスカになってしまいました。魏の最後の猛攻のとき、漢中があっという間に陥落したのはそのせいです。

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JMAさん

2011/3/1923:43:44

確かに姜維の北伐は、蜀の国力疲弊の大きな原因になった感は否めません。しかし、年を経るにつれ人材・兵力・国力すべてにジリ貧になって行くことは不可避でした。それに、魏にとっても三国統一は悲願であり、蜀が専守防衛に徹して「段谷の戦い」のような大敗を喫しなかったとしても、その分魏が積極的に侵攻してきたでしょうから(蜀への侵攻が遅れたのは、魏国内でも毌丘倹や諸葛誕の反乱が起こったせいです)、どのみち蜀が三国で最初に滅んだでしょうし、延命できたとしてもせいぜい10年くらいでしょう。

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day********さん

2011/3/2522:10:21

蜀漢と魏の国力差は現在でいうと、日本とアメリカ程の差があったそうですね。
戦が上手い下手関係ナシに勝てるわけないでしょう…
それでも姜維が北伐を続けたのは亡き諸葛孔明の遺志を継ぐ為、座して滅びを待つより戦って散ろう、という思いがあったのでしょうか。
付き合わされる兵士はたまったものじゃありませんが…

kou********さん

2011/3/2022:10:55

思いません
蜀が滅亡したのは経緯がどうであれトウガイの蜀侵攻で劉禅が降伏したからです
つまり、姜維が北伐をしようがしまいが、この蜀侵攻を止めなければあと20年~30年も持つということはないのです

確かに姜維が無茶しなければ国力が下がることはなかったかもしれません
しかし、姜維さえ無茶せず、国力兵力が浪費しなければ鄧ガイの猛攻を防げたでしょうか
私は全くそうは思えません

蜀が滅亡した当時の兵の数は(私が見た本が正しければ)人口に対して異常なほどいたそうです
これもまた姜維の無茶のせいでしょう
逆に言えば姜維が無茶しなければ蜀の兵はもっと少なかったはずです
死んだ兵士の数を考えても少なかったと思います
足りない、と言うのはあくまで攻めに必要な兵の話です
結局は降伏して同じぐらいの年に蜀は滅亡したと思います


北伐と蜀滅亡は全く関係ないとは言いませんが=で結べないと思います
北伐自体は要らなかったと思いますが、北伐がなかったら蜀の寿命が延びたかと言われたらまずあり得ないと思いますよ

oot********さん

2011/3/2000:08:51

そうです。
蜀のような僻遠の辺地にあれば、専守防衛でいけば2,30年はいけたでしょう。
しかし当然ジリ貧は避けられません。
それを避けようとして、昭和16年の日本のようにドカ貧を招いたのかもしれません。

2011/3/1923:35:42

姜維がただの戦争屋であったというのは賛同しますが、北伐がなかったら蜀の寿命が延びたかというと微妙ですね。

確かに戦争を繰り返すことは人的資源の消費であり、国力を著しく低下させる原因になると思います。
たび重なる北伐により漢中の人的資源が枯渇し、防御拠点の剣閣に籠る以外に魏の侵攻を抑えるすべがなかったということも理解できます。

しかしながら北伐をしないで専守防衛に徹したとしても蜀の滅亡は時間の問題、史実の滅亡とさほどの違いはないでしょうね。

魏が中国統一に向けて動き、蜀への外征にでるのは必至です。
専守防衛に徹し戦闘経験の少ない兵士はあまり使いものにならない烏合の衆に等しく、もし本気で魏が攻め込んできた時はイチコロでしょう。
さらに戦争を避け続ける国には厭戦ムードがただよい、劉備入蜀前の劉璋がそうだったようにいざ攻められたときにはろくな戦闘もせずに降伏してしまう可能性もあります。
ヘタをしたら史実より早く滅亡する可能性もあると思います。

まぁ、蜀自体は山に囲まれわざわざ外征をしてまで取得するメリットはない土地ですので、他の国にちょっかいをださずにおとなしくしていたらほっておかれ忘れ去られた状態で、国が維持されていたという可能性もあるかもしれませんね。

six********さん

2011/3/1922:42:38

ぼくも三国志大好きです。ぼくは北伐自体は悪いことではないと思います。実際孔明の北伐では国力は下がってませんし、魏もそれにてこずり国力をさいてました。


陸遜や司馬懿や孔明のように総指揮に向いてる人はただ単に軍学に通じているだけではないと思います。総指揮は実際に戦わないで兵を将に任せ自分は本陣にどっしりと構えているような戦い方がいいと思います。実際孔明はほとんど自ら戦わず後方の陣にいて将に命令を与えて動かすだけでした。

一方、姜維は軍学に通じた「将」であり総指揮者には向かなかったのではないでしょうか。総指揮者に兵法についての助言して戦うことには優れていたとは思います。さらに魏延などのように将としての才能もあったと思いますが総指揮者としての才能はなかっただけだと思います。もし姜維にその才能があり、動かす将がいれば意味のある北伐になったと思います。

あと孔明も人を見る目がないと思います。馬謖の件も馬謖の才能を死に際の劉備は見抜いて忠言をしていました。それなのに孔明は重宝しました。



わかりにくい文章で言いたいことがほとんど伝わらなかったとおもいます。
すいませんでした。

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