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初代林家三平師匠について。

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goo********さん

2011/3/3021:34:23

初代林家三平師匠について。

ある本で(談志の本だったかな)若い頃の三平さんはオーソドックスな古典落語をやっていたけど、芸が全う過ぎてイマイチ受けなかった、ある日半ばやけになってダジャレ小噺を連発したらバカ受け、それで自分の本領を自覚した三平さんは爆笑王への道を歩んでいった、と言った事が書いてあったんですが事実ですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

2011/4/317:02:50

ほぼ事実です。ただ、ヤケか熟慮かはご本人にしかわかりません。

人情噺に向かないニンだから、単発の爆笑ネタのほうのウエイトが高くなる。

そこに、テレビというメディアの登場。速射砲の細切れギャグが受ける時代性。

結局そこに乗っかったというのが本当のところだと思います。

かの辛口でおなじみの談志師は【最後までこの人は理解できなかった】としながら

も、【三平さんなしでは東京の寄席が開かないという一時代があったのは事実】と

も述べています。

【あんなの落語じゃねえ】の批判はかなり多くありました。しかし初代三平亡き後、

あの【1000ワットの蛍光灯】みたいな、どんな場も、どんな人相手でも、最高の

明さを発揮する芸人は、まだ現れていないような気がするのです。

質問した人からのコメント

2011/4/6 13:02:11

円丈さんは「円生師がルー・テーズのバックドロップなら、三平師は力道山の空手チョップだったんだ」と言ってました。
とにかく小さな子供にも「世の中には落後という面白いものがあって、それを話してくれる落語家と言う面白いおじさんたちがいるんだよ」と教えてことですね。

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cha********さん

2011/4/121:12:10

わたしは、その頃子供で、その時代を知っていますが、あまり面白かったという印象がありません。ただバカ騒ぎしている落語家ということしか覚えていません。なんで昭和の爆笑王なんてネーミングがついたのかと理解できません。その時代は面白い芸人が居なかったのでしょうか?理解に苦しみます。

ura********さん

2011/4/101:50:40

だいたい合ってはいますが……
ヤケでやったのではなく、熟慮のすえにやったことだと思います。

なお、「どうもスイマセン」は、初代三平の発明ではありません。
三平の父親、七代目林家正蔵が演っていたんです。
それを受け継いだのです。

ごんさん

編集あり2011/3/3105:34:43

ある意味本当です。
7代目林家正蔵の長男であった三平さんは、父と同じく若い頃は古典落語を演じていましたが、話はつかえる、登場人物の名前は忘れるという体たらくぶりで、下手な落語家として有名だったそうです。
ところが、テレビの演芸ブームに乗って、数々のギャグが馬鹿ウケし、それが彼の芸のスタイルになって、落語界の寵児に大化けしていったのです。有名なギャグとしては「どうもスイマセン」「夕べ寝ないで考えたんですから」「身体だけは大事にしてください」「もう大変なんすから」などなど。
ただ本格的な芸を売り物にした名人6代目三遊亭圓生からは「アイツの芸は落語じゃない」と酷評されていました。
三平さんはテレビに登場するだけで周りをぱっと明るくし、華やかな雰囲気に変えました。いわばテレビの生んだ異才とでも言える存在だったと思います。なお林家三平は前座名で、最後まで通しました。

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