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秤量貨幣について・・・

yam********さん

2011/4/1608:37:27

秤量貨幣について・・・

江戸時代の3貨制度を勉強しているのですが、銀ではあるが、金1朱、1分の役割を果たした定位銀貨が使われている間も秤量貨幣の銀も同じ時期に使われていたのでしょうか??

秤量貨幣の役割は定位銀貨の登場で必要なくなると思うのですが???

ちょっと混乱しているので、解説をよろしくお願いいたします

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ベストアンサーに選ばれた回答

jas********さん

2011/4/1619:32:22

江戸時代は「江戸の金遣い、上方の銀遣い」といわれるように、東日本では計数貨幣である金貨(小判、一分金など)が、西日本では秤量貨幣である銀貨(丁銀、豆板銀)が使用されていました。

でもそれが全国的な商品の流通や、経済の発展を妨げており、なかでも銀は秤量貨幣であり、すぐに銀は金と交換できなかったことから、田沼意次は発展し続ける経済にはそぐわなくなり、二元化的な経済圏の一元化を図るべく、1765年に「明和五匁銀」という一定の量目が表示された名目貨幣を(この銀貨は色々な問題点があり短期間の製造に終わった)、1772年に「明和南鐐二朱銀」という計数貨幣を発行させます(この銀貨も銀高騰により製造停止)。この銀貨は田沼時代末期頃、東西両方で流通するようになり、1837年に「金一分の価値を持つ銀」とストレートに表示した「天保一分銀」を発行、銀貨流通の主流となりました。

しかし、秤量貨幣である丁銀や豆板銀は計数貨幣の銀貨が発行されていても鋳造されています(1859年から発行された安政丁銀、安政豆板銀まで)。何故幕府は金は計数貨幣としながら、銀は秤量貨幣としたのかは、中国が関係していたようです。それは「商人が直接取引する中心である中国が世界史上における銀本位国であり、その中国銀貨が秤量貨幣として存在していた影響を受けるものであり、銀貨の切遣いも中国の作用するものであろう」(江戸の貨幣物語)

現在の円ドル相場のように、金銀銭の三貨の交換は変動相場制でしたので、江戸と大坂では毎日相場がたち、取引が行われていました。江戸から見て金高銀安ならば、大坂から商品を買うと儲けが生じるといった具合です。この金銀相場に密接にかかわっていたのが、「切賃」と称する両替料をとって貨幣の両替を行っていた両替商です。もし秤量貨幣がなくなって計数貨幣に一元化されればこの儲けがなくなることになりますが。いずれにしても日本がひとつの通貨圏(円)になるのは、1871年の新貨条例制定まで待たなければなりませんでした。

質問した人からのコメント

2011/4/22 12:28:05

笑う 大変すっきりしました!!!
ありがとうございました

ベストアンサー以外の回答

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yom********さん

2011/4/1609:14:33

当初、東日本向けに幕府が発行していたのは一分や一朱の金貨でした。
これとは別に秤量貨幣として西日本向けに丁銀を発行していました。

田沼意次により二朱銀・一分銀が発行されるようになると、それらが徐々に秤量貨幣を駆逐していきました。
田沼の失脚後も二朱銀・一分銀の発行は続けられ、化政期ごろには西日本でも一分銀や二朱銀の使用が主流になっていきました。

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