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いつもお世話になっています。 この日本の意味を詳しく教えて下さい。 科学...

ohy********さん

2011/5/821:19:08

いつもお世話になっています。
この日本の意味を詳しく教えて下さい。


科学者の関心は真理であり、芸術家の関心は美である。現在、美と真理は同じものという哲学者もいる。つまり科学者は

、唯一の価値−すなわち我々がxと呼べる唯一のもの−があって、真理は科学者がその価値に付けた名称であり、美は芸術家が付けた名称だ、という。

補足つまり科学者→つまり哲学者

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kat********さん

編集あり2011/5/1116:17:02

まず、唯一至上の価値があるとは限りません。少なくとも、価値が1つであると人間が断定できるわけがありませんが、さも唯一の価値観があるかのごとく、人間社会は営まれ、それによって人間のなかで、共感や共有の概念をみつけることができるわけです。

科学者は科学の価値観から、唯一の目指す方向性として、「真理」を名づけ、芸術家は、芸術の価値観から、「美」を名づけ、哲学者は、哲学の価値観から、科学者の「真理」と芸術家の「美」を同等とみなすわけです。

つまり、人間は、同じ方向に進むべきだということを、与えるのが、真理なのです。その真理は、神によって授けられるしかないわけです。

だから、人間の唯一の価値観とは、神により定められ、現在生きるこの宇宙であるわけです。

このだだっ広い宇宙において、人間はどちらに進むべきかと問われれば、宇宙が進む方向に従うしかないという他はないわけです。その方向性が、科学者や芸術家、或いは哲学者の人生において、表現が異なってくるだけです。

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ove********さん

2011/5/923:46:07

僕は科学者とはいってもまだまだ未熟なヒヨコのようなものですが、真理に興味はありません。
科学者としての関心はより優れた技術であり、より便利で快適な生活です。
恐らく多くの科学者が真理なんてものを求めてはいません。それを求めるのは哲学者だけです。
科学者にとっての関心は研究中の臓器の人工培養や皮膚の人工培養、さらには新しい発電のシステム作りって所だと思います。

現象を支配する根本原理の解明もしてないことはありませんが少数でしょうね。

tao********さん

2011/5/914:33:41

現代文明は、科学も芸術も脳の論理思考に依存しています。だから脳を刺激する論理思考文化です。脳を刺激するので、心がストレスになります。対して日本人の行動パターンは、情緒思考で、伝統文化は、情緒思考です。情緒は、脳を休めて、人の心を癒し、育て、社会を調和に導きます。演歌、歌舞伎などの、伝統文化、伝統芸能、和風文化は、日本を、日本人を救う、救世主です。現代の日本は、社会生活が、過剰に、脳を刺激するストレス社会です。だから今、日本人に必要なのは、脳を休めて心を癒す、情緒がある伝統文化です。現代演劇、現代美術、現代音楽、現代の娯楽は、自己表現、自己主張が過剰で、脳を刺激するものばかりで、気分が高まる、テンションが高まるものばかりです。だから心は、ストレスになります。現代人は、脳を刺激する薬物依存症と同じ状態です。リラックス出来ないです。逆に興奮します。現代は、脳を刺激するのが、芸術や娯楽だと思われています。これが、間違いです。これを、脳を刺激して、脳で感動して、脳で理解する論理思考文化といいます
。昔の日本人は、生活に間や情緒を入れて、脳を休ませる工夫をしていました。娯楽や芸術も、脳の思考を無くして情緒を多くするため、様式化、ワンパターン化、非現実化して、間が多く情緒が溢れて、人の心を癒していました。これを、情緒に感動して癒され、心で理解する情緒思考文化といいます。情緒を多くするためには、脳の思考を休む必要があります。理由は、脳の自己表現と情緒は、対立していて反比例の関係だからです。日本の伝統文化だけが、情緒思考文化です。だから現代の芸術は、自己表現が強調された結果、論理思考芸術になっています。しかし芸術、文化、娯楽の本来の目的は、人の心を癒す事だと思います。情緒思考芸術が本当の文化です。情緒は、人の心を癒し、育て、社会を調和に導きます。日本人は、和風文化で情緒に目覚めましょう。脳の論理思考の時代は、終わりました。新しい時代は、情緒の時代です。

saa********さん

編集あり2011/5/905:55:07

違います

芸術家は虚構や空想の世界にも美を見出すことができます

たとえばキュービズムで描かれた肖像画は世界の真実を映し出してはいませんし、ピカソは唯一の価値を書いたつもりはないでしょう

また、科学者は「真実の多様性」を知っていますし、あることを「<唯一の>価値」と認めたとき科学の進歩は止まります

それに、真実と言われていることを疑うのが科学者の仕事ですから・・・そういう意味でも科学者は真実に関心があるのです

ゆえに、哲学者と科学者と芸術家のそれぞれが関心を持つもの、すなわち唯一の価値と真理と美は部分的に共有できる領域があるということであって、相容れない領域もまた多いことも確かでしょう

not********さん

2011/5/823:53:31

哲学者が一般に十分な論理的能力をもっていても科学的な知識や理解力をもたないもが普通であるのであれば、科学の論理、常識その他一切の知識の吟味、とか、科学史上の出来事、科学的理論、体系化の実現はむずかしいのではないでしょうか。
哲学は、すべてを語る、あらゆることについて語りうる、というものであり、しかし、すべての、そのある部分については語れないこともあるかは知れないかもわからないが、だからといって、それらを哲学者がやってわるいということはないのではないかと思います。

bes********さん

編集あり2011/5/822:54:08

《自然》は何故美しいのか?
と考える。

勿論、理由なんていらない、美しいものは美しい訳だ。

そこで一歩踏み込む。

[美しい]ものに[共通点]はあるか?

これを科学的に考察したら、色々と解ってくる。

我々人間が[美しい]と感じる物や現象が、ある自然の法則に基づいた[何か]があるならば、その法則を科学的に示す事が出来ないだろうかとね。

例えば、よく言われるのが《黄金比》という奴だ。

《1:(1+√5)/2》

という奴だな。そしてこれは

《X2乗=X+1》という、最も単純な2次方程式の解な訳だよ。

この単純な数式で表す事が出来る物を、我々は《美しい》と判断しているのさ。

自然の風景や、美しい女性の身体、動物や昆虫の動き。

これらは、自然の中にある黄金比だろう。

また、黄金比を《理解していない》芸術家達が、己の感性で創りあげた芸術。

[彫刻]や[絵画の構図]や[建築]

これらもやはり、創作者が、その知識を知らないのに、結果的に黄金比になり《美しい》と判断しているのさ。

よく[右脳]か[左脳]か、みたいに言う時もあるが、まあ、そう単純ではないだろう。

また、この様な[視覚的]な要因以外でも、様々な普遍性は存在する。

[聴覚]は《音》であり《声》だ。

我々が聞く《音》も、その周波数によって《美しい》とも《不快》とも捉える。
そしてその美しさは、必ず自然の中に存在する。

波の満ち干き、虫の音もそうだろう。

そしてやはり、それらも[科学的考察]により、その理由が理解出来る。

確かに、もしかしたら科学者は、それを《真理》というだろうし、芸術家は《美》というかもね。

それらはやはり《統一》出来るという事を言いたいのだろうさ。

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