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大東亜戦争以前の日本では核、ロケット(ジェット)推進、 コンピュータのいずれ...

Night Headさん

2011/5/2302:39:00

大東亜戦争以前の日本では核、ロケット(ジェット)推進、
コンピュータのいずれも研究されていなかったのでしょうか?

全て開戦してからあわてて手がけたのですか?

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2011/5/2310:08:17

固体燃料ロケットについては昭和6年陸軍科学研究所で、砲弾の射程距離を伸ばすために昭和7年38式野砲の砲弾の底に固体ロケットをつけて射程4kmに、延長した。昭和19年にロ弾発射機で噴進弾(ロケット砲)が配備された、戦時中は桜花有人ロケット機、ドイツから技術供与を受けた液体燃料ロケットエンジン技術、ジェットエンジン技術で、イ号1型甲空対艦誘導弾(無線誘導ミサイル)、ロケット局地戦闘機秋水(しゅうすい)、ジェット攻撃機「橘花}(きっか)、いずれも、開発中で終戦となった
戦前は清国、大国ロシアに戦勝したので、従来の兵器で勝てる自信があった、アジアの新興国である日本には、技術も、。資本、工作機械もなかった、経済恐慌で、それどころではなかった。経済大国のアメリカとの戦争で、劣勢になってからあわてて秘密兵器を手がけた、熟練工、技術者は兵士となり、内地には女子高生が兵器を作っていたし、金属資源、石油がないので飛べなかった、コンピユータは真空管など電子技術の遅れから、レーダーですら実用できなかった、暗号解読は軽視され、女子高生が人海戦術で解読していたが、それを戦局に利用することは軍部はなかった。

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ベストアンサー以外の回答

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2011/5/2308:05:41

ジェットエンジンに関しては戦前から研究はされていました。
1939年頃には、既に具体的な構想を考えていた技術者もいたとの事で、実機の製作には至りませんでしたが、個人的に引いていたその図面は、戦後明らかになったところでは米国製ジェットエンジンとほとんど変わらない基本構造を持っていたとか。
1942年春頃から本格的な研究開発が開始され、1943年末にはパルスジェットエンジン「ネ0」の空中実験に成功しています。並行してターボジェットの地上実験も(進捗は遅かったものの)行われており、ドイツからの技術導入を優先する事になって独自開発は事実上中止されましたが、それがなければ1944年中には最初のジェットエンジンによる飛行が実現していたのではないか、と惜しむ声もあります。

理研の核開発も戦前からで、1937年には実験用のサイクロトロンを完成しています。
兵器としての研究開発を陸軍が初めて指示したのは1940年4月で、翌年春頃には仁科研で理論的可能性の検討が始められています。海軍が着手したのは1942年からです。

しかしコンピュータについては…。
日本の電子工業の遅れは目を覆わんばかりに酷いものでした。

ID非公開さん

編集あり2011/5/2306:26:56

「核兵器」の研究はしてましたよ。陸軍航空技術研究所長、安田武雄中将の提唱で「二号研究」という名目で理化学研究所の仁科芳雄の仁科研が中心になって行っていたかと。海軍側では「F研究」という名目で京都大学の荒勝研が行ってました。
ただ軍部の理解不足と研究材料や物資の不足などで進まず、理論の完成前に時間切れになりましたが。
その他については他の方の通りです。

kei********さん

編集あり2011/5/2305:04:46

核・・・開発の目処が立たず計画段階で頓挫
ロケット・・・ドイツから技術提供を受けるが設計図が完全なものでは無かった為に日本の技術で補完し試作をするが爆破炎上、大破。計画は頓挫し一部技術が自爆特攻の人間ミサイルなどに流用される。
コンピューター・・なにそれ?

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