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卒業論文で三国志のことを調べることになったんですが、僕はあまり三国志に詳しく...

wat********さん

2011/5/2521:17:06

卒業論文で三国志のことを調べることになったんですが、僕はあまり三国志に詳しくありません・・・・
なので三国志について詳しく難しくない程度で教えて下さい^^

卒論を途中まで書いたのでそれに合う内容で詳しく分かりやすくお願いします!



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後漢王朝末期時代、度重なる疫病や悪政(過度の労働、重税等)によって社会不安は頂点に達していた。
現世に幻滅した人々は、宗教に救いを求めたのです。
数々の宗教がその時代にはありましたが、最もポピュラーだったのが、
「張角」(チョウカク)という人物が創始(創った)した【太平道】という宗教です。

その太平道の信者達の数はすさまじく、勢力はどんどん拡大。
中国各地で賊まがいの行動を起こす様になりました。
彼等は黄色の頭巾をつけていたことから【黄巾賊】と呼ばれ、人々から恐れられていました。
(張角が黄色の頭巾をつけていたのを信者達が真似たものです。今でいうコスプレでしょうか・・それだけ張角にはカリスマ性があったということですね。)

「張角」の目標は後漢王朝の打倒です。(今でいうテロリスト集団のようなもので、国家滅亡を狙う者の集まり。)

この【黄巾賊】の一連の戦乱のことを【黄巾の乱】と呼びます。

【黄巾の乱】は「張角」の病死で幕を閉じますが、すでに後漢王朝の統治能力(国を治める力)は無くなり、
各地に独立勢力が乱立。【群雄割拠】の時代へと突入していくのです。

三国志の主人公、「曹操」(ソウソウ)、「孫堅」(ソンケン)、「劉備」(リュウビ)も【黄巾の乱】の鎮圧に参加して
知名度を上げ、それぞれが独立していくこととなります。

三国志は、社会不安の高まる多くの人々と、一人のカリスマによって始まったのです。


この文に続くように詳しく分かりやすく三国志の結末まで教えて下さい^^
お願いします!
ちなみに僕は中学三年生です。

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ベストアンサーに選ばれた回答

2011/5/2523:26:05

まず、黄巾の乱の後、権力を握ったのは中国北西に勢力を誇っていた董卓でした。彼は朝廷の混乱に乗じて皇帝を手中に収め、暴政を布いたため、漢王朝の衰退はますます顕著な物となりました。
これに対して、漢の名門官僚の家柄であった袁紹を盟主とする諸侯の連合が董卓打倒の旗印を掲げて挙兵しましたが、お互いの権益だけに執着してまとまることが無く、結局解散することになります。
董卓はこの後、部下である呂布の裏切りによって倒れ、朝廷はますます混乱していくことになりました。その影響で先にも述べたように独立勢力が互いに領土を奪い合う【群雄割拠】の風潮がますます激しくなります。
その朝廷を保護し、利用したのが曹操です。彼は旧董卓勢力から皇帝を奪還すると、権威を利用して領土を広げます。
202年、曹操は中国北方に巨大な勢力を築き上げた袁紹を官渡の戦いで倒すと、208年までに中国の北半分を手中に収めました。
この勢いに乗じて天下を統一しようとした曹操に対し、反抗の意志を見せたのが、漢の皇族の末裔と称していた劉備です。彼は中国の南東に位置する呉の地を支配していた孫堅の息子・孫権と同盟を結び、208年の赤壁の戦いにおいて南下してきた曹操の軍勢を撃退し、曹操の天下統一を妨げます。
その後、劉備は中国中央部から南部に位置する荊州の南部と、中国南西部の益州(巴蜀)を手中に収め、中原(中国の北半分)の曹操、呉の孫権と並ぶ勢力を築き上げます。
しかし、219年劉備は呉との対立から荊州南部を奪取されます。この時、劉備の最愛の家臣で荊州を統治していた関羽が殺され、これが後々に尾を引きます。
220年、曹操が死亡し、その息子曹丕が漢最後の皇帝・献帝より帝位を受け取り(これを禅譲と言います。)ました。ここに漢王朝は滅び、新たに魏の王朝が成立しました。
これを正統な王朝と認めなかった劉備は自ら皇帝を名乗り、漢(前の漢と区別するため蜀漢と呼びます。)を建てました。ここを持って基本的には三国時代と呼びます。(孫権は229年に皇帝を名乗ります)
皇帝となった劉備は家臣・関羽の仇討ちの為に呉に侵攻しますが、222年夷陵の戦いで呉の司令官・陸遜に敗れ、白帝城で死亡します。
彼の意志を継いだのは蜀漢の丞相(総理大臣)であった・諸葛亮です。彼は魏打倒のために軍を率いて北伐と呼ばれる大遠征を六度行いますが、成果をあげることが出来ないまま234年五丈原にて死去します。
この後、蜀漢は度重なる出兵と皇帝の堕落で衰えていきます。
また、252年孫権の死亡の後、呉の国も内乱が続いて弱っていきます。
この時、魏の国で権力を拡大したのが司馬懿です。彼が249年にクーデターをおこして実権を握ると、次第に朝廷を支配していき、彼の死後、息子の司馬昭によって263年蜀を滅ぼした後、孫の司馬炎が265年、魏は皇帝の位を司馬炎に禅譲して魏は滅びます。そして、魏に変わって晋が成立します。
晋は一歩まで迫った天下統一を成すため279年呉に出兵。翌280年に呉を滅ぼして天下統一を果たしました。

以上の184年の黄巾の乱より280年の呉の滅亡までの100年間が俗に言う「三国志」と呼ばれる歴史の流れです。
非常に簡単にしましたが、一応これがこの時代の大筋と言って良いでしょう。

正直な話、卒業論文を他人に任せるのは感心しかねます。知恵袋で聞くのではなく、自分で調べましょう。
図書館に行けば恐らく関連書籍が山のようにあるでしょう。自らの手で論文を書かなければそれは貴方の論文とは言えません。
それをよく考えて知恵袋に投稿してください。

質問した人からのコメント

2011/5/27 16:13:50

一安心 もう一度自力で調べてみます^^
目が覚めました!

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

qfy********さん

2011/5/2620:48:15

結末?

晋という国が誕生して終了

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