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戒名や位牌は必要だと思うし、亡くなった創価学会員の戒名や位牌が必要かどうかは...

nie********さん

2011/7/913:25:49

戒名や位牌は必要だと思うし、亡くなった創価学会員の戒名や位牌が必要かどうかは、各遺族が決めることだと思います。元創価二世です。中学生の頃に疑問を持ってやめました。

私の創価学会員の祖母は私が幼い頃に病気で亡くなりましたが、その頃は創価学会と宗門は仲が良好だったので、日蓮正宗の僧侶が家に来て葬儀を行い、亡き祖母に「妙○信女」という立派な戒名を与えてくれて、また、その戒名を記した位牌をくれました。まだ、子供なので、位牌というのがどういうものかは分かりませんでしたが、祖母が亡くなって一つ上のレベルの存在になり、近くで自分たちを見守ってくれているような気がしたのを覚えています。

その後、創価学会と日蓮正宗が喧嘩別れをしてしまいましたが、日蓮正宗の僧侶がくれた祖母の位牌は、両親がどこかに持って行ってしまいました。

そして、10年前に熱心な創価学会で副支部長まで務めた父が74歳で自殺をしてしまいましたが、県の部長を務める従兄が学会員を集めて友人葬を行ってくれました。しかし、驚いたのは、友人葬になってから創価学会は戒名を行わなくなったとのことで、位牌には改名ではなく、「○○○○(父の名)の霊」とだけ記されていました。

従兄は「戒名は要らないことになったんだ。気にするな」と言っていましたが、父の生前の名前のついている位牌はまだ父が成仏できないでいるようで、不気味でなりませんでした。

さらに、昨年の4月に母が肺炎で亡くなり、また従兄が友人葬をしてくれましたが、今度は、「戒名は要らないし、位牌も要らない。そんなのは不要ということに決まったんだ」と言われて、私は言葉を失いました。

そして、母の遺骨と父の位牌を創価学会のお墓に納めましたが、今、私の手元には何も残っておらず、寂しい限りです。

私の経験から、戒名や位牌というのは、亡くなった人に敬意を表するものであるとともに、彼らがいつも自分の近くにいて見守ってくれているという安心感を与えてくれるものです。これは信仰云々というよりも、昔の人たちが考えた優れた生活の知恵だと思います。ですから、創価学会が一時の判断で、そのような伝統的な知恵を軽蔑し、廃止してしまうことは極めて残念なことです。

また、戒名や位牌をどうするかは、創価学会が一緒くたに「そんなものは必要ないんだ!」と決めてしまうべきことではなく、亡くなった人たちのそれぞれの遺族が決めることだと思います。私は創価学会のこういう一方的な考えを会員に有無を言わさず押し付ける非民主的なところに大いに疑問を感じています。

みなさんのご意見をお聞かせください。

補足日蓮の両親にも法名(戒名)があるとのこと。ということは、日蓮は戒名を認めていたということでしょう。それを日蓮を信奉する創価学会がやめてしまうのは、やはりおかしいです。祖師に従いましょう。伝統も大事にしましょう。

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oo_********さん

リクエストマッチ

2011/7/913:50:56

そうですね、
葬儀は遺族の心休まる形が一番です

創価学会では戒名が金かかかり坊主がまるもうけだから要らないと言います。
しかし、それが理由になるでしょうか?
実際学会幹部の給与は破格でこれを坊主丸儲けなどど言えるはずがありません。
http://kanbusyotoku.99k.org/

実際学会員は毎年の財務、新聞啓蒙。選挙活動などお金や労力を亡くなるまで
どのくらい学会につぎ込むのでしょう、私なんか嫁ぎ先の家が普通の寺の檀家ですが
墓の管理費位しか収めておりませんよ。
そして普通の人は葬式で多くの参列者があれば葬式代なんか香典でまかなえるものです。

金のかからない葬儀をウリにしますが
実際 創価学会会館で葬儀はしてくれないので。会館使用料、祭壇料、返戻品などで
お金をかけまいとしても当たり前の費用はかかるのです

<歴代の会長を始め総ての学会員は、正宗で葬儀をしたという事実>
牧口常三郎氏 冷然院感得日常大居士
戸田 城聖氏 大宣院法護日常大居士
北条 浩氏 宣正院浩徳日基大居士


※池田大作氏の家族も正宗で葬儀を行い、猊下より戒名を頂く。

池田城久氏(次男)大心院法久日賢居士
八王子法忍寺で葬儀を行い、法事も寺院で営む。遺骨は髙尾墓苑(正宗)に埋葬。

池田子之吉氏(父)種田院法子日実居士
子之吉の墓は創価学会が邪宗であると言っている真言宗の密厳院にある。子之吉には浄徳清道信士という戒名が密厳院より授けられていました。正宗で葬儀が出来なかったが、猊下が御慈悲で戒名を授けて下さいました。

池田 一氏(母) 一乗院妙大日道大姉
葬儀は日蓮正宗総本山大石寺の細井日達猊下(当時)が臨席して妙光寺において営まれた。合計八十人の僧侶が読経している。


<創価学会版過去帳のおそまつさ>
・戒名を否定する学会員らしく、牧口・戸田会長を俗名で載せるも、大聖人の御両親は、御父が「妙日」、御母が「妙蓮」という法名をそのまま載せている。まさか、御父が「貫名二郎重忠」、御母が「梅菊女」と知らないわけでもあるまい。また、法名と戒名は同義であることは、学会の仏哲にも掲載されている。おかしくありませんか?
・なぜ、四代会長は亡くなっているのに過去帳に記載されないのか?初代・二代と何が違うのか?だから池田教と言われるのである。


そういえばこの前
こんな質問に回答しました

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1166124841

結構あるのですが

学会員さんとして亡くなって戒名がない。
遺族は学会ではない場合、先祖代々の墓にはいれず
改めて戒名を付け直す。
こんなことも多いのです。

本当に信者さんのことを考えている良い宗教であるなら
創価学会が自信を持って無料で戒名を付けてあげたらいいのに、と思いますね。

池田先生は赤ちゃんに名前を付けてくださるそうじゃないですか

質問した人からのコメント

2011/7/11 03:35:54

伝統には昔の人の知恵が宿っています。それは我々の祖先からの賢い財産です。だから、一時の判断で伝統的な風習をないがしろにしては、いけません。創価学会は反省しなさい!

ベストアンサー以外の回答

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fsf********さん

2011/7/922:04:07

まあ、あくまでも「仏教的に」考えてみたいと思います。

キリスト教やイスラム教なら「もともと無い」わけですから。

仏教では、今世も来世も幸せに、ということが基本だろうと思います。
そこで「どのような修行をし、どのような信仰心を持ち続けるのか」ということが、その「幸せ」につながります。

法名として「修行を続けて、功徳を得続けていけるように」という姿勢が、やはり必要だと思います。
位牌は、あくまでも「葬儀の際に」必要なものであろうと思います。つまり、日蓮正宗でも、葬儀が終わった後は、あまり長い間位牌を持ち続けるのは「?」な状況です。もちろん、「位牌は拝む対象ではなく、あくまでも御本尊を基にした先祖回向のため」ということを理解している場合は、「位牌を持っている」場合もあると思います。
ただ、多くは四十九日や一週忌の法要の際に、位牌は寺院に返納される場合が多いと思います。

しかし現在
「あくまでも、気持ちがあれば何でも良い」という感覚が創価学会員にはあります。
まさしく「何でもあり」な状況です。
「少しでも多くの気持ちを興そうと努力する」というのが、「気持ち」だと思うのです。
日蓮大聖人様も、佐渡から身延に訪ねられた方々に対して
「道の遠きに志のあらわるる」と仰せられています。

あくまでも「仏道修行」による功徳から故人の幸せを望む上から
「より真摯な態度」は、必要なことと思います。

haw********さん

2011/7/918:02:54

戒名--亡くなった人は生前に戒名を名乗った事がない。したがって、亡くなった方の、今の命の中の身口意三業の宿業に戒名の記された部分がない。学侶方がつけた、遺族への教訓目的の名。

位牌--位牌は亡くなった人の命では、ない。学侶方がつけた、遺族への教訓目的の名札の様な物、信仰の対象ではない。
ーーーーーーーーーーーーーーー
其の御言に云く「而かも彼の土に於いて仏の智慧を求めて是の経を聞くことを得ん」等云云、此の経文は智者な
らん人人は心をとどむべし、教主釈尊の父母の御ために説かせ給いて候経文なり、此の法門は唯天台大師と申せ
し人計りこそ知りてをはし候ひけれ、其の外の諸宗の人人知らざる事なり、日蓮が心中に第一と思ふ法門なり。

父母に御孝養の意あらん人人は法華経を贈り給べし、教主釈尊の父母の御孝養には法華経を贈り給いて候、
ーーーーーーーーーーーーー
子息多ければ孝養まちまちなり、然れども必ず法華経に非ざれば謗法等云云、
ーーーーーーーーーーーーーー
今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり、法華不信の人は堕在無間なれども、題目の光を以て孝子法華の行者として訪わんに豈此の義に替わる可しや、されば下至阿鼻地獄の文は仏光を放ちて提婆を成仏せしめんが為なりと日蓮推知し奉るなり。
ーーーーーーーーーーーーーー
あなたの両親は、戒名や位牌の有無に依らず、ご自身の信力、行力で御本仏日蓮大聖人所持の妙法の仏力法力を仰ぎ後生善処は疑いないでしょう。

あとは遺族のあなたが、”されば法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり、我が心には報ずると思
はねども此の経の力にて報ずるなり。”を身で行ずるか否か。が大事であると思います。

” 問うて云く法華経の意をもしらず只南無妙法蓮華経と計り五字七字に限りて一日に一遍一月乃至一年十年一期
生の間に只一遍なんど唱えても軽重の悪に引かれずして四悪趣におもむかずついに不退の位にいたるべしや、答
えて云くしかるべきなり.…
かくをもひて常に南無妙法蓮華経と唱うべし、法華経の第一の巻に云く「無量無数劫にも是の法を聞かんこと
亦難し」第五の巻に云く「是の法華経は無量の国中に於て乃至名字をも聞くことを得可からず」等云云法華経の
御名を聞く事はをぼろげにもありがたき事なり、”

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