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道鏡は一番悪い奴ですか?

jap********さん

2011/7/1520:48:34

道鏡は一番悪い奴ですか?

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2011/7/1520:54:24

はい、そうですよ天皇の位を狙った怪僧ですから

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sem********さん

2011/7/1616:14:17

何を以て一番とするかは意見が分かれるでしょうが…

「天皇の血族でもないのに皇位を簒奪しようとした」
という
「絶対に消すことが出来ない事実」があるかぎり

そして
日本の歴史上、皇位の簒奪をあからさまに企てたのが
彼しか存在しない以上

「道教は一番悪い奴だ」という意見を
否定することは難しいでしょう

理由をあげつらって「悪くない」と擁護する人もいるよう
ですが
いくら「どうでもいいような理屈」をつけてみたところで
「皇位簒奪の野望」がはっきりしている以上
その件に関しての弁解の余地は皆無です

「道教を陥れたのだ…」と言ってみたところで
「彼が皇位に付くことが可能な状態」にさえならなければ
彼が陥れられることすらなかったでしょうから

つまるところ「自業自得」でしかありません

彼自身が本気で皇位を望んだのかどうかはともかく
和気清麻呂の持ってきた神託に対して
幼稚で感情剥き出しな報復行為に出ている以上
「清廉潔白」とは程遠い人物であり
(清廉潔白なら素直に受け入れ、自ら中央から
遠ざかるでしょう)
権力の亡者と化していたのは想像に難くありません

つまりは
「自分の野望に食いつぶされた」ような男という
ことでしょう

2011/7/1610:39:41

一番であるかどうかは別として、結果的には、当時も悪い人間として把握されていました。

その証拠に、770年に称徳女帝(孝謙上皇)が崩御し、光仁朝になると、下野薬師寺に左遷されています。
法王という、天皇にも匹敵する地位からの転落ですから、流罪同然の処置でしょう。
道鏡は、失意のうちに、下野で亡くなります。

もっとも、道鏡自身は死後も罪人として扱われることはありませんでした。
しかし、弟の弓削浄人やその子たちが流罪にされています。
道鏡に対して、朝廷が何らかの犯罪認識を持っていたことは間違いありませんが、亡くなった女帝の意向をはばかって、彼に罪を着せることだけは避けたものと思われます。

道鏡の所業は、天皇になろうとした皇位覬覦事件として知られています。
宇佐八幡宮の神託だと称して、天皇になることを望んだとされ、宇佐八幡宮に下って調査した和気清麻呂によって、その虚偽が暴かれました。

称徳女帝は、清麻呂の報告こそ虚偽であるとして、これを流罪に処し、清麻呂を改名させて、穢麻呂としました。
清麻呂の姉の広虫も、連座させられる形で、狭虫と改名させられています。
児戯めいた奇妙な処罰です。

道鏡に皇位を望ませるほどに増長させた称徳女帝のやり方に根本的な過ちがあったことは疑いがないでしょう。
皇位継承権がないにもかかわらず、道鏡以外に皇位を望んだ人物としては、足利義満しか知りません。

道鏡に関しては、女帝を取り巻いた藤原四家の葛藤が十分以上にからんでおり、一連の事件の責任をひとり道鏡に押し着せるわけにはいかないのですが、女帝の厚遇をよいことに、坊主の身を忘れて、権勢の亡者となりはてた道鏡に、大きな罪がなかったはずがないのは当然だと思われます。

pin********さん

2011/7/1607:53:34

道鏡は最後まで、九州倭国系の最後の天皇であった「称徳」に付き従った素晴らしい家臣です。
「称徳」のために、天智系(光仁)と藤原氏による政権奪取を阻止しとうとした人物です。
九州倭国は、白村江の敗戦により大打撃を受けます。その真っ最中に天智が百済からの亡命貴族や遺民を結集して近江に列島百済を復国します、でも「壬申の乱」により九州倭国により一旦潰されてしまいます。
その後九州倭国は少し時間をおいて、近畿の新益京(藤原京)に遷都してきます。
天武―高市―文武―聖武と九州倭国系の皇統で推移しますが、聖武は男子の後継者に恵まれませんでした、基王は早死、安積王は病死、聖武は仕方なく娘の阿部内親王(孝謙、称徳)を皇太子にし天皇位を譲位します。
このあたりから、九州倭国系の側近の吉備真備、玄昉らと、藤原系の側近たちの間で後継者をめぐって暗闘が開始されます。
母親の光明皇后と孝謙が「第二の壬申の乱」を避けるために努力を重ねますが、光明皇后の崩御後からは手が付けられない状況になります。
「孝謙、称徳」は最終的に聖武と県犬養広刀自との間の子である、井上内親王や不破内親王の子供たちに皇統を引き継ごうとしますが、天智系―藤原系の圧力が強く、側近の吉備真備、玄昉たちも排除され絶体絶命です。
そこで「孝謙、称徳」は9回裏の一発逆転サヨナラを考えたのです。
「道鏡」を天皇にすれば、天智―藤原系の圧力を押さえられ時間が稼げて体制を立て直せると考えたのです。
でも「道鏡」の天皇即位は排除され、井上内親王と他戸皇子も抹殺されてしまいます。
「称徳」と「道鏡」の最後の願いもむなしく、世の中は天智系―藤原系の時代へと変わっていくのです。

NO NAMEさん

2011/7/1601:21:30

でかいんです。

「道鏡に「崩御」「崩御」と称徳云い」

ですよ。

2011/7/1522:34:03

「勝てば官軍、負ければ賊軍」は明治維新だけではなくて、
毎度、政争によって起こった事。

物部系の道鏡の留守の間に、乗っ取り犯が
彼をスキャンダラスに追い落としただけの事。

道鏡を悪い奴にするのは何時の世も、
無知な大衆向けの「三文ドラマ」だけです。

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