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大谷吉継ってハンセン病だったとか梅毒だったとか諸説あるみたいですが結局のとこ...

mac********さん

2011/8/2308:56:29

大谷吉継ってハンセン病だったとか梅毒だったとか諸説あるみたいですが結局のところどうなんですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

ryu********さん

編集あり2011/8/2423:21:24

ハンセン病だったという説が有力です。
関ヶ原の合戦のおり、盟友の石田三成が挙兵の計画の意を伝え、参加を求めた時、驚きながらも三成と同盟するため、家康の上杉討伐軍を離れ、三成に会い、戦略を聞いて、「実にずさんだ」と涙を流して、思い止まるように論じましたが、三成の決意が固いのを知ると西軍の総参謀として、三成陣営の支柱となって、自ら小早川秀秋の予想されていた寝返りによる猛攻を真正面から受けて戦死しています。最初から敗北を予見して小早川勢の進路に陣を引いていました。 この時、すでにハンセン病が重く失明していたとも言われています。死を覚悟しての布陣だったとの説が有力です。
朝鮮の役の後、奉行を辞したのも病気で勤めが出来なかったのが理由と言われています。
吉継は、九州の大友氏の家臣でしたが、滅亡後、流れ歩いて姫路までやって来た時、三成に見出だされ、その推挙で秀吉の小姓になったのが出世のきっかけで三成は恩人でした。
茶会の席での吉継がハンセン病による膿を茶器に溢して、皆が嫌ったのに、三成が何の躊躇もなく飲み干した逸話は有名です。~質問とは直接関係有りませんが、二人は正に盟友だったのではないでしょうか。

質問した人からのコメント

2011/8/26 17:49:35

吉継の男気にぐっと来ました。損得だけではない、と・・・

それに比べて今の政治家は!

ベストアンサー以外の回答

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2011/8/2323:38:45

大谷吉継といえば茶会の時、誤って茶碗の中に膿(顔面の癩瘡から))を垂らしてしまい、三成は動揺する吉継から茶碗を奪って一気に膿の入った茶を飲み干してしまった・・・、というエピソードが有名です。

大谷吉継といえばハンセン病(癩病)をイメージしてしまいますが、それを裏付ける史料はあるわけではありません。

「石山本願寺日記」(「貝塚御座所日記」)の二月十一日条に

「・・・大谷紀之介(吉継)という小姓衆、悪瘡気につきて・・・・」

というように当時の史料は「癩」ではなく、「悪瘡」となっています。また当時の「癩病」は不治の病の代名詞のようなもので、重い病気の総称して用いられたようです。

でもハンセン病の病状の一つである「盲目であった」という記録は残っていますし、母の東殿が自分の息子の回復を願い、神道家に祈祷を依頼していることから、進行性の難儀な病気であったのは確かなようで、ハンセン病の可能性も大いにあったと考えられます。

さらに吉継が若い頃の手紙の中で「白頭」と号していることから、病気が原因で白頭巾を被っていた状態を指すのか、または髪が抜けてしまっている状態をいっているのかもしれませんが、いずれにしても彼は早くから発病していたのかもしれません。

2011/8/2323:16:38

ハンセン病じゃないですか?中には実は吉断って秀吉の子って説もあります。ねねの嫉妬から毒を盛られてああなったという説もありますが…

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