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歴史 歴史のifって歴史学においてはあまり意味がないんですか? 例えば坂本竜馬...

kusokusooiciさん

2011/9/715:19:56

歴史
歴史のifって歴史学においてはあまり意味がないんですか?
例えば坂本竜馬が世に出てこなくてもとか、いろいろありますがどうでしょう?

補足確かに、
前に歴史ifの特番やってましたが糞つまらんかったです。
歴史学者や歴史マニアタレントがくだらん妄想にふけってました。
やはりifは意味無し無しの妄想&願望なんですね

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ベストアンサーに選ばれた回答

編集あり2011/9/801:09:59

「歴史にifはない」という言葉は大昔の格言ですが、その後に続く言葉と
して「ifを持ち込むことは科学的アプローチに反する」というものがあります。
“History has no if, and introducing it violates the scientific approach.”

しかしながら、歴史に仮定を持ち込む場合に、しばしば混同されている二つ
のアプローチ方法があります。
一つは「fantasy approach」というもので、例えば「もしもナポレオンが若く
して亡くなっていたら、どうなっていたか」といった類のものです。はっきり言って、
そんなことは誰にも分からないものであり、これを追求しても何の教訓も得ら
れませんし、何の利益にもなりません。つまり、最初から科学的に実証的に
追求することが不可能であって、単に妄想を楽しむためのものでしかありま
せん。上の格言で言っている事は、まさにこうしたifのことです。

もう一つは、fantasy approachとは全く異なります。歴史のある時点で
存在する複数の選択肢があって、実際には、これらのうちの一つだけが
続いて起こることになるものの、幾つかは実際に起こりうる選択肢(possible
alternatives)であると考えられます。従って、他の選択肢をすべて無視した
場合、一方的な過去の描写が出来上がることになります。
例えば、ロシアは常に専制の道を歩み続け、ボリシェヴィキは1917年の唯一
存在し得る勝者であるというように。こうした考え方を決定論と言います。
しかし、歴史は予め決められているものではありませんし、現在とは、起こり
得る過去の様々な選択肢のうちの一つの結果であることを私たちは知って
います。ですから、歴史を学ぶ者は決定論に陥らないように、常に実証的に
「起こり得るif」というものを考える必要があるのです。

こうした二つのアプローチが存在するのは、質問を発する人が歴史における
起こり得る選択肢についての知識を持っている場合と、そうでない場合が
あるためです。残念ながら、fantasy approachに属する質問が、Yahoo!
知恵袋でもしばしば散見されます。そうした質問には、そもそもまともな答が
出るわけがなく、完全に質問者の主観によってベストアンサーが決定されます。
しかし、第三者から見れば、そんな議論は面白くも何ともありませんし、そも
そも何の役にも立ちません。何でも有りの世界観になって、歴史の実相を
歪めるだけのものです。「坂本竜馬が世に出てこなくても」というifがどちらの
アプローチに属するか、もうお分かりになったと思います。歴史学者でありなが
ら娯楽番組とはいえfantasy approachに基づく議論をするような人は、歴史
を学ぶ者としての資質が疑われます。

質問した人からのコメント

2011/9/13 23:03:38

成功 ありがとうございます

ベストアンサー以外の回答

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rekishi_zukiさん

2011/9/1206:30:14

歴史学は、史料をもとに其の当時の状況・情報を収集、論理的に構築することで過去の事象の本質を探る学問です。
ですから、「歴史にifがない」ということではないと思います(この要素が欠けたら、歴史的にこの事象は意味がない。とかを考える際に有効。)

しかし、通常ifといえば、いわば「妄想」に近いものがあり、個人がもつ歴史像(歴史観というよりは、この人物・この人はこんな人だという固定観念)に基づいていると私は思います。 だから、普通「歴史にifはない」といわれるわけです。
立命館大学山崎有恒先生の言によれば、「歴史学はむしろ、そうした固定観念を打ち壊すもの」なのです。

mogamidateさん

2011/9/800:13:20

バタフライ効果といったものがあります

蝶が飛ぶと風の流れが台風にもなる

とんでもないifです

戦争がなければ
死なない人がいた→生まれてくる子供もいた→結婚する人も出る→史実ではいない人が生まれる→本来は現代に存在してはいけない人である

結論

あくまで妄想です
条件付けで比較し楽しむことに意味がある

2011/9/723:48:50

IFと言いながらも、最終的に自分に好都合な結果を導くための妄想にすぎないことが多すぎます。
信長に天下を取らせたいだけの妄想に付き合わされる側はどうでしょうか。

後付けならどんなことも言えます。その瞬間に精一杯の判断をした人物の思考を全否定するのは簡単です。
真珠湾の攻撃目標にタンクやドックは初めからなかったのですから、南雲を責めることはできません。

IFを唱えれば、可能性は無限に広がります。必ずしも想定した通りの結果が出ないことは予想できます。
ペリーを追い払っても、鎖国が継続できる保証はどこにもありません。

今の感覚で過去の歴史を裁く視線に陥ります。
誰だって日清日露の朝鮮を見れば、金玉均を応援しますよ。しかし、朝鮮にそれを許す時間はなかったのですから、彼の最期を変える余地はありません。

歴史学は石ころの中から宝石を見つけ出す作業でもあります。どんどん疑わしい風説を排除して、事実を見つけ出すのです。決して削り落とした屑を集めて想像の彫像を作る作業ではありません。

orehabushさん

2011/9/718:37:09

楽しみとしてはともかく、学問としての歴史は、今後の参考にするためにあります。
参考にするためには、失敗した事例についてはなぜ失敗したのか、どういう選択肢を取るべきだったのか、当時の人々にその選択肢を取ることがどの程度期待できたのか、といった「IF」を考える事が不可欠です。
成功したとされる事例でも、なぜ成功したのか、他の選択をしていたらどうなっていたのか、という「IF」を考えなければなりません。
そうでなければなぜ成功したのか分からないからです。
ひょっとしたらそれは運だけで成功したのかもしれず、その場合、歴史上のある状況と似たような状況が現れた時、同じ選択を取ってしまって失敗した……という事になりかねません。
つまり歴史学というものは、「IF」を考えてこそ初めて価値がある学問だ、と言えます。
歴史のIFも想像できないような人間は、今現在からのIFはもっと想像できないでしょうからね、という言い方もできます。



そもそも「歴史にIFは無い」と言葉は歴史学上のものではなく、「決定論」という哲学上の概念に根ざしたものです。
これは「Aという状態からはBという状態しか生まれない」という大変不毛な考え方です。
なにしろこれに従えば、未来はもう全て決まってしまっているわけですから。
私や貴方がいま何を考えているかも、全部、あらかじめ決まっていたことになります。
こんな考えが世の中にまかり通ったら、みんなやる気を無くして、努力しなくなるでしょう。



また、歴史のIFを否定したい人たちには「すっぱいブドウ」の心理も見え隠れします。
人間、「別の選択肢を取っていれば、今より良い結果が待っていた」とは考えたがらず、むしろ否定したがるものなのです。
こうした考えは馬鹿なくせにプライドだけは高い怠け者のもので、まったくもって小人(しょうじん)の意見である、と言わざるを得ません。

2011/9/717:36:17

ifは色んな事がかんがえさせられますから勉強にはなるし、これからああいう事が起こったり、あの人物は昔の誰々とタイプが一緒だから気をつけようとかいろいろあります。もし?を考えるのは楽しくもあるからいいんではないでしょうか? 糞つまらんかもしれませんが自分はそう思います。

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