ここから本文です

昔、忍者がいたのは、伊賀と甲賀だけですか?

dnd********さん

2011/9/1013:25:37

昔、忍者がいたのは、伊賀と甲賀だけですか?

閲覧数:
3,940
回答数:
7

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

tom********さん

2011/9/1101:17:23

大きく分ければ南から島津の山くぐり、毛利の外聞、尼子の鉢屋、紀州の根来、伊賀、甲賀、上杉の軒猿、真田の戸隠、武田の透波、北条の風魔、伊達の黒脛巾、最上の羽黒などが有名です。
これらは大きく忍者の区分けですが、内情はかなり違い盗賊の類、草と言われる地に根付いたもの、修験者、地侍、食うに困り傭兵的なもの、専門的に軍に属するものもあり、かなり複雑です。
大体は農業生産が乏しく生産物がないためこういう稼業になるようで、飛騨の地獄谷の忍者とか甲賀の荒地の忍者とかが出てくる話からするとやはり出稼ぎが多いようです。
また戦国時代は活躍の場がありましたが、徳川の世では隠密ぐらいがほとんどなのであまり残りはありませんが、島津は忍者を養成して隠密に対抗させていた節があります。
各里に属していた忍びで有名なものもいますから、沢山存在してたのは確かです。
ただ時代劇や忍者漫画を真に受けると間違えますからご注意ください。

ベストアンサー以外の回答

1〜5件/6件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

t_o********さん

2011/9/1109:14:57

記録が確認されているだけでも,50弱の呼称があるそうです。
その土地毎に、いくつかの流派の集まり出てきており伊賀は上忍三家(服部・百地・藤林)の意向で動いていたのに対し、
甲賀はそれぞれが対等な合議制をとっていました。

mil********さん

編集あり2011/9/1100:34:48

伊賀・甲賀のほかに確か越前(信州?)の軒猿(のきざる)、紀伊の根来(ねごろ)衆、北条の風魔一族

おそらく諜報活動に従事したいわゆる『忍者』と呼ばれる人々は多かったと思います。

柳生一族の柳生十兵衛も諜報員じゃなかったですか?

実際は各地方の方言まで習得して卓越した技術を持っていたようですね。しかも軒猿などは敵に発見されると自分の顔面を爆破するなど証拠隠滅の手段も徹底していました。

たしか江戸幕府の公儀お庭番も忍者集団と呼べるでしょう。現代で言うCIAみたいなもんでしょうか。

2011/9/1014:05:47

wikiには
「戦国時代には、伊賀・甲賀組や紀州根来衆の他に甲斐武田氏の透破、越後上杉氏の鳶加当他、相模北条氏の風魔党、奥州伊達氏の黒脛巾組、加賀本願寺の修験、伊勢長島、出雲尼子氏の鉢屋一党など各地方諸文献に草等の忍者らしき記載が有る」とあります。
前の方の回答で思い出しました。根来の忍者といえば「飛騨の忍者、赤影」と戦いましたが、この飛騨の忍者は実在しなかったそうです。

編集あり2011/9/1013:41:50

風魔とか戸隠とか根来とか他にもいろいろあります。

mar********さん

2011/9/1013:31:05

伊賀や甲賀に忍者なんか居ませんでしたよ.
居たのは地侍です.

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる