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大変恐れ多い話ですが、継体天皇の出現は新王朝の成立と考えてもよろしいのでしょ...

mou********さん

2011/9/2020:05:28

大変恐れ多い話ですが、継体天皇の出現は新王朝の成立と考えてもよろしいのでしょうか?

補足日本書紀がもし本当の事を書いているとするならば、応神天皇の5世の孫の継体天皇はかなり武烈天皇から時代がズレているような……

武烈天皇から継体天皇になるまでの長い空白の時間に何が起こったのでしょうか?

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tkm********さん

2011/9/2114:57:21

私も、『日本書紀』のこのくだりは(編者の事実誤認などはあるかもしれませが)できるだけ正確に事実を後世に伝えようとしているのではないかと思います。
たとえば、『日本書紀』によると、この時代の実力者大伴金村らは最初、丹波の桑田郡に住む倭彦王(仲哀天皇の五世の孫)に白羽の矢を立てて迎えに行ったものの、逃げられてしまったので、男大迹王(継体天皇)を立てることにした、とされています。しかし、歴史を綺羅で飾るつもりなら、こんなことは書かなくてもいいはずです。
また、継体天皇は応神天皇の五世の孫とされていますが、この程度の血統の持ち主なら、さほど珍しくなかったのではないでしょうか。実態は皇族の血を引く地方豪族といったところかもしれません。ただし、継体天皇が即位前に尾張や近江などから妻を娶り、子供(のちの安閑・宣化天皇ら)を儲けていることなどから、かなりの有力者だった可能性もあります。
さらに、万一継体天皇の血統が怪しいとしても、この方は武烈天皇のきょうだいである手白香皇女を皇后として欽明天皇を生んでいますから、いわばヤマトの大王家に婿入りしたようなもので、少なくとも女系では皇統はつながっていることになります。
武烈天皇から継体天皇までの空白というのは、この天皇が河内の葛葉(樟葉)、山城の綴喜、乙訓など居所を転々として大和入りするのに20年もかかったことを仰っているのでしょうか。たしかに、この天皇の即位に反対する勢力がいて、なかなか大和に入ることができなかったのではないかという意見もありますが、別の解釈の余地もあると思います。もともとこの天皇は近江や北陸、東海地方などを地盤としていたようですから、はじめはそれらに近い場所に根拠地を置き、無理をせず時間をかけて大和入りを果たしたともいえるのではないでしょうか。それに、この天皇の即位前から実力者だった大伴金村は引き続き朝政の主導権を握っていたようで、激しい権力闘争が行われた形跡はありません(ただし、継体天皇のあとの安閑・宣化朝と欽明朝については議論があります)。たとえ王宮の所在地が大和でなくても、いずれも畿内のことですから、金村ら朝廷の首脳部は次々と政策(朝鮮半島の任那四県の割譲問題など)を遂行していたようです。ちなみに金村は、武烈・継体・安閑・宣化・欽明朝で大連として仕え、欽明朝で失脚しています。
以上から、継体天皇の出現は新王朝の成立とはいえないと思います。「継体」という諡号も国体を継ぐという意味のようで、途絶えそうになった皇統を受け継いだという趣旨なのでしょう。

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rev********さん

2011/9/2611:55:32

歴史家は、「日本書紀」は、天皇家の支配を正当化するために書かれていて事実と違うことがある、といっている。

信ずるに足らない、と言うことである。

信ずるに足らない資料「日本書紀」を基にして、天皇家の歴史を語るなんてのは矛盾していないか。

jen********さん

編集あり2011/9/2100:07:58

ここらへんの時代は、記紀は全くデタラメで、ぐちゃぐちゃな乱世だった
可能性もありますよ。極論ですが、坂口安吾などは、蘇我入鹿が天
皇になっていた可能性を指摘しています。それもあり得るほど、天皇
家の権威というのは揺らいでいたのは確かでしょう。

そして、あるいは、もとの天皇家が滅びて、新しい天皇家ができたのか
もしれない。トンデモ説といえるほど、この時代の様相は明らかになって
いないように思います。それでなくとも、いろいろとツジツマが合わないこ
とが多い。

それこそが、日本書紀が本当のことを書いている証拠だと言うノウテン
キな人もあるが、あんまりメチャクチャすぎて、ツジツマ合わせもうまくい
かなかったというほうがリアリティがありますね。あっちを立てれば、こちら
が立たずで、どうしてもうまくいかないところが出てくる。多分、日本書
紀の書き手にとっては、例えば継体帝の時代より、もうすこしあとのほ
うが重要だったのだろう。

どこが日本書紀の作者にとって重要かを考えると、そこにちかい部分か
らツジツマ合わせをおこなっていったことがわかるだろうし、その結果、ど
こかに軋みが出てくるのも理解できます。そこは同時代的な興味の対
象でなかったから、うやむやにしたというようなところなのでしょう。

国史において、本当のことだけが書いてある書物なんてひとつもない。
記紀だけがそうだというのは、まったくもって理屈にあわないことです。

正確には歴史論ではないのだが、坂口安吾の『人間・歴史・風土』を
読み、さらに、武田泰淳の『司馬遷~史記の世界』を読むと、古代史
に対する考え方が大きく変わると思います。特に坂口の面白いところは、
天皇の価値が後づけの「万世一系」とは関係ないところにあるとしてい
ることです。大事なのは、そこに生きている人間なのです。

ann********さん

編集あり2011/9/2020:33:21

そう考えている人も居ますが、その考えは矛盾します。
もし継体帝が新王朝ならば、日本書紀は虚偽を書いてる訳ですが、
虚偽を書くなら、わざわざ「応神帝の六世の孫」とせず、
「顕宗帝の孫」とか「清寧帝の孫」とかに設定するのが当然です。

日本書紀が嘘を書いてるならば、もっとリアリティのある、
信じたくなる嘘を書くのが当たり前なんですよね。

日本書紀の記事が完璧で疑いを差挟む余地が無いならば、
そこには作為的な嘘が混ざっているかも知れませんが、
継体帝の出自や、顕宗帝・仁賢帝の生立ちなど、
そのまま再録されている以上、そこに嘘を書く意思は無く、
むしろ編纂の当時に伝わる話をそのまま書いたと判断し得ます。

日本書紀の編集に携わる学者達が、
嘘を書くのにわざわざ疑わしい記述にするメリットが無いのです。
少し考えたら、そんなことはすぐ理解できますね。

繰り返しになりますが、
もし日本書紀が天皇正当化の歴史書ならば、
継体帝の経歴をこそ改竄しますよ。
それに武烈帝の所業も改竄しますね、絶対。

日本書紀を頭から疑う学者の多くは、
日本書紀をちゃんと読んだことが無いんですよ。残念ながら。

gga********さん

編集あり2011/9/2119:47:25

神武天皇、崇神天皇、応神天皇の出現がそれぞれ
新王朝の成立では。

天皇の諡号に「神」と入っている天皇が基本的に新王朝と
考えて無難なところじゃないでしょうか。淡海三船もそう考
えていたんじゃない。

mas********さん

2011/9/2020:20:04

どの道同じ失われたイスラエル十支族の王権ですから違うと言えるでしょう。
同じ王朝です。

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