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モンロー主義とは?・・・教えて下さい

nak********さん

2011/10/121:35:39

モンロー主義とは?・・・教えて下さい

第一次世界大戦にアメリカが参戦した理由に

・モンロー宣言
・ドイツの無制限潜水艦作戦

と聞いたのですが

モンロー宣言が良く理解できません。
簡単に説明してくれませんか?

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pla********さん

編集あり2011/10/206:07:13

モンロー宣言は第一次世界大戦にアメリカが参戦した理由ではありません。

まず、モンロー主義は「孤立を自ら選ぶこと」という、一種の諺というか、歴史の出来事が下になった故事みたいなものです。
今でも、「一匹狼」的な意味合いで、ニュースなんかで使われる言葉です。

で、このモンロー宣言は
1823年にモンロー大統領が「俺達アメリカは、一匹狼みたいに行動しようぜ」文書を書いたのが始まりです。
で、当時のアメリカの政治家達の多くも「うん、そうだね、大統領の言うとおりだね」って、その文章を認めました。

それ以来、ずーっとアメリカは他の国に極力関わらないようになります。
例えが悪いですけど、外交面で考えれば、今の北朝鮮とかなり似てます。北朝鮮以上に人の往来はありますが、まぁそんな感じです。
で、1914年の第一次世界大戦がおこるまでの大体100年間くらい、アメリカは北朝鮮みたいなことやってました。

で第一次世界大戦中、ドイツが無制限潜水艦作戦ってのを始動しました。
これは、戦艦だろうが旅客船だろうが漁船だろうが、敵対国の船っぽいと潜水艦の艦長が思ったのなら警告なしに攻撃を仕掛けてもOKっていうドイツ軍部の折り紙つきの作戦でした。
(普通は、最初に無線通信でその船に連絡とって、「お前、国旗掲げてねぇけど、何処の国のもんだよ」って所属聞いて、敵国の関係者だったら「じゃあ、攻撃します」って宣戦布告してから攻撃します。隠密行動中の味方だったらヤバいですから、昔からこれをみんなやってました)

話は戻って、で、ドイツはこの作戦に従って、潜水艦でルシタニア号っていうイギリスの客船を、なんの警告もなしに大破させたんです。
が、そこにアメリカ人が結構な数で乗ってたんです。で、死んだ。

それを受けてアメリカは「今まで、モンロー主義(一匹狼)100年貫いてきたけどよ。それで、ヨーロッパの第一次世界大戦にも干渉しなかったけどよ、流石にこれは切れざるをえないわ、まじで。モンロー主義止めざるを得ないわ」と言う事を口実にしながら、第一次世界大戦に参戦しました。もちろん、ドイツの敵として。

これが、アメリカ参戦のおおまかな流れです。
細かいところはかなり端折ってるので、ネットで調べてみて下さい。

受験とかなら、この流れを覚えとけば大丈夫だと思います。

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fcb********さん

編集あり2011/10/313:21:14

もともとは 5代大統領ジェームスモンローが議会の年次教書演説の中で唱えた外交方針です。(ジョージワシントンの訣別演説・・にはっきりとアメリカの孤立主義が明記されており(ヨーロッパの啓蒙主義とイギリスの不介入に影響されていると言われています)この宣言に影響されてという見方が有力です)

但し、当初は、現在日本でひろく解釈されているような「アメリカのテリトリーを臆面もなく理念的な言葉で主張するような、独善的な、理念主義、イデオロギー性を帯びたもの」では必ずしもありませんでした。
当時、欧州の南米植民地に対する介入が問題視され、当時の超大国イギリスから条件付きで他の欧州諸国とは別に同盟の提案があったのですが、
「他国が反対できない大義を、アメリカが他に先駆けて一方的に宣言してしまう といった外交手法(アメリカ・ファースト)をとります。」(北米大陸へのヨーロッパ介入を拒否するといった程度の認識)


そして、アンドリュー・ジャクソン大統領~ポーク・コロラリー大統領の時に
①テキサス合併問題(リメンバー・アラモ) テキサス合併に関して、テキサス共和国の民意(という大義名文)が必要になりました。
②オレゴン問題 当時のオレゴンはミズーリ川以西を全て含み、イギリスとの共有の国境問題が問題になっていました。(FFFF 54度40分を譲らない)
③メキシコとの国境問題 テキサス、ニューメキシコ、カルフォルニア

これら「一大大陸国家としてのアメリカ」という国策実現の為に「マニフェスト・ディスティニー(予め神によって定められた運命)」
が掲げられ、これらをリンク・正当化させる為に、「モンロー氏の宣言」「モンロー氏の教義」といったニュアンスで、別の解釈で取り上げられる事となりました。この、ポーク・コロラリーによってモンロー宣言の意味が南北アメリカ大陸の中での、「神の摂理による」「合衆国による平和」「合衆国による支配」「合衆国による正義」といった意味に変化していきます。


(南北戦争後の)アンドリュー・ジョンソン、ユリシーズ・グラントなどの政権は「モンロー・ドクトリン」として、もはや国家の既定路線としてヨーロッパ勢力の進出を、アメリカの既定路線として「力ずくでも」排除する、といった、南北アメリカ大陸は「自由の新天地として」その未来を保証されねばならない。といった程まで変化しています。


WW1
アメリカにとって リメンバー○○は何度かあるのですが、これは対外膨張時に使われるスロガーンと言われています。第一次大戦では「ルシタニア号」がそれに当てはまります。対岸の火事であった、WW1が「国益」ではなく「善悪」で「聖戦」となって「正義の戦い」に変化していくのです。・・・現在のアメリカにも当てはまる考え方です。介入するときはこういったスローガンが良く使われます。

(参考:アメリカ外交の魂 中西輝政)

str********さん

2011/10/122:58:20

モンロー主義とはアメリカがとった孤立主義のことです。
カンタンにいうとアメリカはアメリカ大陸のこと,ヨーロッパはヨーロッパ大陸のことに集中して,お互いに口出ししたりちょっかいしたりするのはやめましょう,ということです。

しかしこの考え方は19世紀になると拡大解釈されるようになりました。つまりアメリカはアメリカ大陸の保護者としてヨーロッパの侵略からアメリカ大陸を守らなければならない,という考え方に発展し,アメリカによる西漸運動やカリブ地域の侵略の根拠として利用されました。

そして第1次世界大戦への参戦によってアメリカは,ヨーロッパのことには口出ししないというモンロー主義を放棄することになりました。

栗原さん

2011/10/122:34:26

極簡単に言うと、陸で先住民を駆逐しつくし隣国に戦争を吹っかけて領土拡大してきたアメリカ合衆国が陸でのそうした政策に行き詰まり海に勢力拡大を求めて縄張りを欧州諸国に主張し始めた政策を俗に「モンロー主義」と言います。
第五代アメリカ大統領のジェームス・モンローが議会で演説したものは国務長官ジョン・クインシー・アダムスが草案を作ったと言われています。
当時ラテンアメリカでスペイン・ポルトガルから各地で独立する動きがあり成立した独立議会に植民地に戻そうとする西洋からの圧力にそうした行為はアメリカ合衆国に対する敵対行動と見なすと宣言して「俺の縄張り宣言」をしたのです。(簡単に言うと)

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