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第二次世界大戦中、ドイツ軍のエースパイロットの撃墜数は半端ないですよね。

gro********さん

2011/11/2700:13:35

第二次世界大戦中、ドイツ軍のエースパイロットの撃墜数は半端ないですよね。

ドイツ軍のパイロット養成術が優れていたのでしょうか?

補足戦闘回数が多いというのは納得できました。ということは相手が弱かったんですね。

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iik********さん

編集あり2011/11/2909:57:36

この理由は記録を追って行けば明確に結論付けられます。

ドイツ軍パイロットが、ずば抜けてこき使われたから、です。
ともかく、出撃数が多く、戦闘回数が多いのです。

体制が整って、どんどん交代できた連合軍との比較はもちろん、かなり酷使されている日本などと比べても、はるかに過酷です。
特に、長距離作戦が多い太平洋では、1回の作戦は長いですが、毎日そんな作戦は組めませんから、出撃も少ないのです。
敵に会う率も4回に1回とか、結構少ないです。
ところが、独ソ戦では、1日7回出撃、なんて状態で、作戦距離は短いですが、かなり高密度、ハルトマンの記録だと、6割くらい敵に会っています。
だから、「死ななければ」スコアはどんどん伸びることになります。

さらに、ドイツでも西部戦線では、爆撃機の行動に合わせた狭い時間、空間での空中戦なので、数の少ないドイツ戦闘機はすぐ多数の連合軍戦闘機に袋叩きにされちゃいますが、広大でしかも両軍とも地上支援中心の東部戦線では、レーダー使ってもそれをくぐりぬける余地とかあって裁量の余地も出てきます。
だから、逆に連合軍最高の撃墜数を挙げているのもソ連軍パイロットなのです。

そして、ドイツパイロットも、最初はある程度スコアを挙げると交代していたんですが、どんどんその余地がなくなり、結果的に「最後組」が最大撃墜数を記録しているのです。
例えば(記憶で書くのでイメージで…)、緒戦からのメルダース(115機)は100機を超えて飛行禁止、次のゴードン・ゴロップ(150)が150機で飛行禁止、ヘルマン・グラーフ(212)が200機で飛行禁止、この最後のグラーフの禁止命令がなんと1942年9月なんだから驚きです。
実は、この1ヶ月後に初めて初陣を遂げるのがハルトマン(352)なんです。
そして、彼の時代にはもはや飛行禁止命令が出るゆとりはなく、終戦まで戦い続けて前人未到のスコアに達する訳です。

ところが、例えばアメリカなどでは、時期の違いはあれど、50回の義務戦闘回数をこなせば除隊、あるいは志願して残っても教官とか上級指揮官になって空戦はなし、なので、当然スコアも上がらない訳です。
同じドイツ軍でも、グラーフが、この男はなんとたった2年2ヶ月で、将校でもない軍曹から少佐まで昇進、1月で64機撃墜、勲章が追い付かず柏葉騎士十字章の2日後に剣付きを受賞、飛行禁止中にもこっそり出撃してB17を2機撃墜、など、信じられない記録の持ち主で、もし戦い続けていれば、確実に500機は落とせたかも、と言われる人物です。

でも、どんなに想像しても、空想でしか無く、ドイツ軍では1944年になると、1日でエースパイロットが20名戦死するといった過酷さなので、そんな妄想には何の意味もありません。

ただ、残った史実からは、ドイツパイロットが酷使されたことで、「大記録」を達成したということだけは、確かなことでしょう。

【捕捉について】
どこの国でも、最も落とされているのは「新米」なんです。
ドイツでも、こうしたトップエースの陰に、1機も落とせず死んでいった大多数の新米がいる、だから戦争に負けているわけです。
そして、トップのハルトマンでさえ、最初の100回の戦闘では1ケタも落とせていません。
それどころか、着任日に乗機を破壊しているし、無様なエピソードもいっぱいです。
でも、なんとか生き延びて、落とす側に回れたわけです。
ところが、多くの「新米」にはこうしたチャンスも与えられなかった訳です。
先記した、「エースパイロットが戦死する」ような状況では、その数倍の「新米」が死んでいるはずです。

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ore********さん

2011/11/2802:47:47

パイロットの腕ならば、開戦当初では日本が圧倒的に上だと思いますよ。

ってアメリカ軍の元パイロットの人がいってた気がします。

しかし、なぜドイツ軍の方が撃墜数が多いのか?

それは、ドイツ軍は陸続きの戦場で、相手は航空機が貧弱なソ連が多かった。 もちろんイギリス空軍も多かったですが。

戦場が陸続きだと、たとえ撃墜されても、脱出し、帰還できる可能性が高かったです。そしてまた、出撃できる。

そして、ソ連軍の航空機はとても弱かったそうです。
木製の飛行機を第二次世界大戦で使っていたようですしね。

それに対して、日本は、戦場が海の上でしたし、相手は手強く、数も多いアメリカ軍でした。

戦場が海の上だと、撃墜されて帰ってくることはほとんど不可能です。
そして、日本の航空機は、防弾に関しては非常に弱かったので、被弾すればパイロットも航空機と運命を共にするわけです。

そして、アメリカ軍は開戦当初は日本軍機より、性能が劣る航空機が多かったですが、工業力で、日本を圧倒していきます。

そして、日本は防弾の弱さが浮き彫りになり、熟練パイロットが次々に戦死してゆき、未熟なパイロットも次々に死んでゆき、エースパイロットがどうだ、とかいう話ではなくなっていました。


ドイツ軍と日本軍が同じく状況ならば、日本軍パイロットの方が植えでしたね。

cel********さん

編集あり2011/11/2712:28:03

他の回答者様がすでに挙げていますが戦術面より環境によるものだと考えられます。

ロッテ戦術はすぐに他国も取り入れてしまいましたし一撃離脱戦も連合軍側も得意としました。

第一の理由に空戦を行う回数が多かったとせいだと言われています。

東部戦線に特に撃墜数の多いパイロットがいますがこれはソビエトの航空機が非常に多くしかも性能が劣っていたからです。

ソビエトは毎月平均して2,000機以上の航空機を新規に投入していたと言われています。

そのため会敵機会も多く、第三位エースで276機撃墜のギュンター・ラルの場合800回出撃しての空戦機会は600回で、日本の台南空のエース坂井三郎氏の場合と比較すると出撃約200回で空戦回数は40回とギュンター・ラルの方が非常に多くなっています。

西部戦線および本土防空でも、米英側の記録では損失数は約4万機ですがドイツ空軍の公式撃墜記録は2万5千機とドイツ側の記録以上の航空機を失った事になります。

第二の理由にドイツのパイロットは休まず戦い続けなければならなかった事によるでしょう。

アメリカやイギリスの場合はある程度出撃すると後方に回し休養を取らせたりしていましたが、ドイツパイロットは圧倒的多数の連合軍を相手に休む事無く戦い続けたためスコアを伸ばしたと考えられます。

最後に私の意見ですがドイツの国民性によるものでしょう

日本のエース坂井三郎氏の著作によれば戦闘機パイロットの素質としてどんな状況になってもあきらめずに粘り強く戦い続けると言うことを挙げています。

まさにこれがドイツの国民性であり、どんなところに投入されようともあきらめると言うことを知らず、最後まで戦い続けたことが一つ一つ記録を積み上げあの結果になったのだと思います。

いずれにしても負けたとは言えドイツ空軍の記録は偉大なものだと思います。

onl********さん

編集あり2011/11/2708:46:26

日本も同じですがそれだけ交代要員が乏しかったということです。それからスコアの大半は質の低いソ連機だというのもポイント。ちなみにアメリカの航空兵の場合、勤務は一日交代、1月毎に休暇があり、60回出撃すると帰国できた。

yuj********さん

2011/11/2701:33:03

出撃と接敵の回数が桁違いですし、極端にたくさんのスコアをあげている操縦士のほとんどが東部戦線で活動していたということを考えてみれば答えが見つかると思いますよ。

pan********さん

2011/11/2700:32:56

第1次大戦から、ドイツは航空戦術の先進国でした。大戦当初から個人による格闘戦術でではなく、二機一組で対戦するロッテ戦術を徹底していたので、戦果も上がりましたし、戦果確認もかなりしっかりしていました。
また、連合国と違って人的余裕がなく、無休に近い状態で常に戦闘に参加していた点もあります。

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