第二次世界大戦中、ドイツ軍のエースパイロットの撃墜数は半端ないですよね。

補足

戦闘回数が多いというのは納得できました。ということは相手が弱かったんですね。

宝塚18,648閲覧

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パイロットの腕ならば、開戦当初では日本が圧倒的に上だと思いますよ。 ってアメリカ軍の元パイロットの人がいってた気がします。 しかし、なぜドイツ軍の方が撃墜数が多いのか? それは、ドイツ軍は陸続きの戦場で、相手は航空機が貧弱なソ連が多かった。 もちろんイギリス空軍も多かったですが。 戦場が陸続きだと、たとえ撃墜されても、脱出し、帰還できる可能性が高かったです。そしてまた、出撃できる。 そして、ソ連軍の航空機はとても弱かったそうです。 木製の飛行機を第二次世界大戦で使っていたようですしね。 それに対して、日本は、戦場が海の上でしたし、相手は手強く、数も多いアメリカ軍でした。 戦場が海の上だと、撃墜されて帰ってくることはほとんど不可能です。 そして、日本の航空機は、防弾に関しては非常に弱かったので、被弾すればパイロットも航空機と運命を共にするわけです。 そして、アメリカ軍は開戦当初は日本軍機より、性能が劣る航空機が多かったですが、工業力で、日本を圧倒していきます。 そして、日本は防弾の弱さが浮き彫りになり、熟練パイロットが次々に戦死してゆき、未熟なパイロットも次々に死んでゆき、エースパイロットがどうだ、とかいう話ではなくなっていました。 ドイツ軍と日本軍が同じく状況ならば、日本軍パイロットの方が植えでしたね。

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他の回答者様がすでに挙げていますが戦術面より環境によるものだと考えられます。 ロッテ戦術はすぐに他国も取り入れてしまいましたし一撃離脱戦も連合軍側も得意としました。 第一の理由に空戦を行う回数が多かったとせいだと言われています。 東部戦線に特に撃墜数の多いパイロットがいますがこれはソビエトの航空機が非常に多くしかも性能が劣っていたからです。 ソビエトは毎月平均して2,000機以上の航空機を新規に投入していたと言われています。 そのため会敵機会も多く、第三位エースで276機撃墜のギュンター・ラルの場合800回出撃しての空戦機会は600回で、日本の台南空のエース坂井三郎氏の場合と比較すると出撃約200回で空戦回数は40回とギュンター・ラルの方が非常に多くなっています。 西部戦線および本土防空でも、米英側の記録では損失数は約4万機ですがドイツ空軍の公式撃墜記録は2万5千機とドイツ側の記録以上の航空機を失った事になります。 第二の理由にドイツのパイロットは休まず戦い続けなければならなかった事によるでしょう。 アメリカやイギリスの場合はある程度出撃すると後方に回し休養を取らせたりしていましたが、ドイツパイロットは圧倒的多数の連合軍を相手に休む事無く戦い続けたためスコアを伸ばしたと考えられます。 最後に私の意見ですがドイツの国民性によるものでしょう 日本のエース坂井三郎氏の著作によれば戦闘機パイロットの素質としてどんな状況になってもあきらめずに粘り強く戦い続けると言うことを挙げています。 まさにこれがドイツの国民性であり、どんなところに投入されようともあきらめると言うことを知らず、最後まで戦い続けたことが一つ一つ記録を積み上げあの結果になったのだと思います。 いずれにしても負けたとは言えドイツ空軍の記録は偉大なものだと思います。

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日本も同じですがそれだけ交代要員が乏しかったということです。それからスコアの大半は質の低いソ連機だというのもポイント。ちなみにアメリカの航空兵の場合、勤務は一日交代、1月毎に休暇があり、60回出撃すると帰国できた。

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出撃と接敵の回数が桁違いですし、極端にたくさんのスコアをあげている操縦士のほとんどが東部戦線で活動していたということを考えてみれば答えが見つかると思いますよ。

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第1次大戦から、ドイツは航空戦術の先進国でした。大戦当初から個人による格闘戦術でではなく、二機一組で対戦するロッテ戦術を徹底していたので、戦果も上がりましたし、戦果確認もかなりしっかりしていました。 また、連合国と違って人的余裕がなく、無休に近い状態で常に戦闘に参加していた点もあります。