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江戸時代にサツマイモで飢饉による餓死を多量に回避出来た実例はありますか。 サ...

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ID非公開さん

2011/12/1208:18:17

江戸時代にサツマイモで飢饉による餓死を多量に回避出来た実例はありますか。
サツマイモの栽培は吉宗の享保の期間からですが、享保、 天明など大飢饉で多くの餓死者を出しています。
サツマイモのおかげで救われた藩はあるんでしょうか。

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ベストアンサーに選ばれた回答

crc06u5さん

2011/12/1209:14:35

天明の大飢饉における江戸が例としてあげられます。
現在の千葉県や埼玉県で生産されたサツマイモが江戸庶民を餓死から救っています。

サツマイモが救荒作物として注目されるきっかけとなったのが享保の大飢饉です。
よってこの飢饉でのサツマイモの効果は、薩摩藩や肥前国の一部など極めて限定的です。

次いで天明の大飢饉が猛威を振るったのは主に関東から東北地方にかけてでした。
江戸ではサツマイモの普及によって餓死者の数は抑えられましたが、元来温暖地域の作物で寒さに弱いサツマイモは東北地方では普及せず、救荒作物としては効果を発揮できなかったようです。

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質問した人からのコメント

2011/12/14 01:47:23

驚く 納得です、東北は当時の栽培技術ではどうしようもなかったんですね。ジャガイモが必要だったのですね。

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donpltdonpltさん

2011/12/1220:21:37

サツマイモはそれこそ砂地や山地でも割と育ちますので
湿地でしか栽培できない米より大幅に栽培可能な土地は増えます。
戦時中はイモばかり食べてたと言うように、イモで救われた例は多いかと。

編集あり2011/12/1212:18:57

石見国(島根県)の代官 井戸正明は、享保16年の兇作に際し、自らの身の上をかえりみず公儀の沙汰がないまま、備蓄米を放出したり、薩摩からサツマイモの種イモを移入したりして、飢饉を救った。数百年後の現在もなお「芋代官」として崇められている。

上の回答の方へ、東北はジャガイモですよ。


『ジャガイモが飢餓を救う作物である』と本をまとめて普及に尽力した高野長英という医者で蘭学者がおりました。
「天保の大飢饉」は天保4年(1833年)から7年続いた。特に関東・東北の惨状は目を覆うばかりであったという。
長英は、この天保の凶作に際して、庶民の窮乏を救うため、天保7(1836)年医者ながら『勸農備荒 二物考』という本を著し、早生ソバと馬鈴薯(ジャガイモ)のふたつの栽培をすすめました。現場から先を読むすごい人でした。
しかし人々の関心は今一でした。日本人はコメに慣れ親しんできており、ジャガイモは味が淡白で、このコメの食事に合わなかったためでしょう。
ジャガイモが注目されだしたのは明治半ば以降でした。コメつくりの困難な北海道などの冷涼な地域の開発が進んだり、肉を多くとるようになって、肉にジャガイモ合うのが判りだしてからでした。

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