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授業で戦国大名の尼子氏の重臣であった 山中鹿之介という武将が出てきたのですが...

aud********さん

2011/12/2022:21:04

授業で戦国大名の尼子氏の重臣であった
山中鹿之介という武将が出てきたのですが、
美少年であったという彼にはあまり大っぴらにできない(俗っぽい)死因があったそうなの ですが、
どのようなことなのか知ってる方教えていただきたいですm(__)m

補足死んだ頃にはオッサンということは確かにその通りですすみませんwwm(__)m

若いころに何かあったのでしょうか…(∵)

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lon********さん

編集あり2011/12/2122:44:02

別に恥ずかしい話はありません。

山中鹿之助は主家再興を想い、尼子勝久を擁して上月城に立て篭りましたが、毛利軍3万に囲まれ、頼みの秀吉軍の救援はなく、その上、水の手を断たれて落城。勝久は自刃、鹿之助は毛利輝元の元に護送されました。しかし途中の備中・高梁の合い(あい)の渡しで、背後から毛利の手の者に切り掛られて、殺されてしまいました。
首塚は広島県福山市鞆(とも)にあります。合いの渡しにも、標柱が立っています。

ついでながら、鹿之助が主家想いの勇士であったことは確かですが、美少年であったとは初めて聞きました。

【補足】 戦国期以前の資料は極めて乏しくなります。有名な戦国大名の正妻の名前ですら分からないことが普通です。単に○○の女(むすめ)と系図に記載されていることが全てであったりします。大型時代劇にしても、ほんのわずかの史実を基に、作者が創作したものと言っても過言ではありません。
山中鹿之助については、上月城での攻防、鞆の首塚などから実在の人物で間違いありませんが、その人物のエピソードなど残る由もありません--三日月の前立ての兜を使用した逸話は本当と思われますが。その最後にしても、背後から切られたとする説がある一方、屈強な男達によって水の中に引き込まれ、溺死したという説もあり、真相は分からないのです。

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ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

ego********さん

2011/12/2022:40:24

死んだ頃にはオッサンですよ。
毛利に捕らえら護送中に殺害されました。
しつこく尼子復興を謀るのでうっとうしいので殺されたと言います。
ごく普通にぶっ殺されてます。

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