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老中の田沼意次というと賄賂ってイメージだったのですが、以前読んだ本に田沼は蝦...

rid********さん

2006/3/2918:45:46

老中の田沼意次というと賄賂ってイメージだったのですが、以前読んだ本に田沼は蝦夷地を幕府直轄地にしてロシアと交易などして商工業を高め、最終的には幕藩体制をなくすつもりだったと書いてあったのですが、これって本当ですか?
また本当で実現していれば、明治維新とは異なるアプローチで日本は封建から近代国家になっていたのでしょうか?

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ama********さん

2006/3/3012:26:07

田沼政治が成功すればなっていたでしょうね。しかし近代化の歩みは明治時代でも農民の一揆や士族の乱が頻発しましたが、田沼時代も飢饉とは無関係な一揆が頻発しています。
重商主義・資本主義経済は富をもたらしますが、徴税システムや社会保障制度など社会システムをそれに合わせて変えることは直ぐには出来ないため、瞬時に貧富の差が極大化し、不満の大爆発が起こりがちなのです。今の中国も貧富の拡大、贈収賄の増大、農民一揆多発と同じような状況にあります。
明治時代や現代中国は、中央政府の首脳陣が皆同じような考え方をしているうえ、軍事力で不満を押さえつけることが可能でしたが、田沼には考え方が異なる政敵も多く、いつでも足を引っ張られる状況にありました。そして残念ながら田沼には社会制度を根本的に変える力も知識もありませんでした。新しいことを始める先達者としての悲運が付きまとったことはやむを得なかったということでしょうか。

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ors********さん

編集あり2006/3/2920:49:26

田沼は幕府財政の建て直しのため農本制から重商主義への転換を図ります。
幾度か蝦夷地探検隊も派遣しています。
その政策は必ずしも成功したとは言えず天明の大飢饉なども重なって事態が悪化してしまったことは否定できません。
そのため庶民の人気はむしろ無かったようです。
それでも町民が比較的自由を謳歌した時代でもありました。
この点、田沼失脚後に政権を握った松平定信のは好対照をなします。
清廉を庶民にまで強要する定信を批判した
「白河の清きに魚も住みかねて元の田沼のにごり恋しき」(定信は白河藩主)
という狂歌は有名ではないでしょうか。
田沼の路線を継承できればあるいは早い段階で貿易立国の目もあったかもしれません。
が、急激な改革はより強い反発を生みます。
現に田沼は息子を凶刃に失い自身も失脚します。
また列強ともろにぶつかってしまった可能性も否めません。
実際にどうなったか、は想像するしかありません。

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