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仏教伝来前の日本文化ってどんなでしたか?日本文化のオリジナルが分からない。

tre********さん

2012/1/416:08:45

仏教伝来前の日本文化ってどんなでしたか?日本文化のオリジナルが分からない。

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日本文化のオリジナルというか、起源や発祥について伺います。

飛鳥時代に日本へ仏教が伝来して以降は、言ってみれば仏教という外国文化に汚染された日本文化になってますので、日本文化のオリジナルは、飛鳥時代より古い時代にあったのだろうと思いますが、それがどういうものだったのかが、よく分かりません。

たとえば、ヨーロッパ文化をおおざっぱに言うと、キリスト教発祥以前の紀元前ギリシャ文明に起源を見ることができますが、日本文化は何を起源として見ればよいのか疑問に思っているのです。

「それは日本が古墳時代だった頃の文化だよ」と言われれば、それはそうなのかも知れませんが、その頃の古墳や埴輪と、飛鳥時代の法隆寺などの仏教文化は、文化レベルとして相当の隔たりがあるように見えますよね。

そんなに一気に飛躍的に進化発展するとも思えませんので、仏教が伝来してくる直前の頃、5世紀後半から六世紀前半の日本には、その隔たりを埋めるような何らかの文化が存在していただろうと見るのが妥当だろうと思うし、それがとりもなおさず日本文化のオリジナルだろうと思っているのです。(多少は大陸の影響があったでしょうけれども)

こういう風に考えると、飛鳥の猿石みたいのが日本文化のオリジナルだったのかなぁとか、近畿ではなく山陰地方の出雲あたりに日本文化のオリジナルが栄えていたのかなぁとか、あるいは「日本文化のオリジナルは何か」という発想自体が間違っているのかなぁとか、よく分からなくなってしまうのですが、みなさんはいかがお考えになりますか?

補足建築で言うと、古墳時代後期の豪族居館から飛鳥時代の法隆寺へのレベルアップは、素人目に見ても、いくらなんでも建築技術の違いがありすぎると思いますので、渡来人や仏教伝来で説明するのは、相当な無理があるように見えてしまいます。仏教が伝来する直前の頃に、豪族居館をもうワンステップ進歩させたスーパー豪族居館とでも言うべき建築物があっただろうと想定するのが、むしろ妥当だろうと思うのですがねぇ・・・

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mas********さん

編集あり2012/1/510:00:03

日本独自の文化はあまり思い浮かびません。古くは縄文土器や土偶でしょうか。弥生以降は大陸との交易があり文化にも影響したでしょう。それでも勾玉や古墳、埴輪などは日本独自だと思われます。
建物の記録自体ほとんど無い状態です。埼玉県の埼玉古墳を作った5世紀頃の豪族は水路を巡らせた居館を構え、川を利用して遠隔地と交易していたといわれます。遺跡や古墳に使用された巨石は千葉や茨城産と言う事で船で無ければ運搬は不可能でしょう。

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alk********さん

2012/1/911:05:38

神仏混合が日本のオリジナルだと思ってます。このようなところは世界に類を見ない。しかも来るもの拒まずの精神はいかにも我々の祖先らしい。そもそも何故仏教以前を日本のオリジナルにしたいのかその真意がよく分かりません。更にどこまで遡れば質問者さんの言うオリジナルに行き着くのかも疑問です。石器時代辺りでしょうか?

z07********さん

編集あり2012/1/901:26:28

5世紀後半から六世紀前半といいますと、雄略天皇から欽明天皇あたりまでの時代ですよね。
雄略朝では中華帝国に朝貢していた時代で一部では文字を使用していました。
日本独自のものというと古墳や埴輪でよろしいのではないでしょうか。
特に前方後円墳は日本が発祥の地です。最後の前方後円墳は敏達天皇陵ですが、最後の大型前方後円墳は欽明天皇陵の可能性が高い見瀬丸山古墳です。
仏教が広まるにつれて古墳築造から伽藍建築へと変化しました。
建築や鋳造の技術のみならず、法制度の整備等それまでにない施策が実施され、飛躍的に近代化に向かって走り出したのが飛鳥時代でした。仏教は単に宗教という枠には収まらない一大先進文化だったのです。確かに相当の隔たりはありますが、それだけ急激な文明開化だったのだと思います。

[補足]
スーパー豪族居館のようなものはなかったと思います。
645年、蘇我入鹿暗殺の舞台となったのは飛鳥板葺宮ですが、ここは皇極天皇の宮殿でありながら屋根は板葺きだったのです。
当時、屋根に瓦を用いたのは寺院だけで、皇族、豪族の館も斑鳩宮を除けば板葺きか茅葺きです。飛鳥時代は法興寺や法隆寺といった寺院建築と旧来の建築が同時に存在していました。

suz********さん

編集あり2012/1/515:24:14

■「仏教伝来(538年頃)前の日本文化」は、
「神道」や「シャーマニズム」によるものが多いです。

仏教が伝来した後も、
「神道」や「シャーマニズム」は、
現代にちゃんと息づいてますよん。

ちなみに、
現代でも「音・訓」で「中国読み」と「古来からの日本語読み」の両方あるので、
「漢字」という文字が伝来する前から「日本語」というオリジナル文化があったってことじゃないかしら?

「役行者」のような「修験道」も、日本オリジナルじゃないかな。

■『魏志倭人伝』(280年-290年間に書かれた)によれば、
・邪馬台国では、顔や身体に刺青を施すのが流行っていて、
男子は冠をつけず、髪を結って髷をつくっている。女子はざんばら髪。
・人が死ぬと10日あまり、哭泣して、もがり(喪)につき肉を食さない。他の人々は飲酒して歌舞する。埋葬が終わると水に入って体を清める。
・特別なことをするときは骨を焼き、割れ目を見て吉凶を占う
・盗みはなく、訴訟も少ない。
とのこと。

「日本昔話」の絵本を見れば、
「天照大御神」や「スサノオ」や「大国主命」など、
古来日本文化のオリジナルの生活を垣間見ることができます。

つまり、どちらかと言えば、
「縄文時代」や「弥生時代」が「日本オリジナルの文化」に近いのではないかと思います。

とはいえ、「稲作文化」は、明らかに大陸からきた文化だけど。。。

■「起源」を問い詰めれば、結局は「アフリカのイブ」に行きついてしまうし、
世界各国いたるところで、同じような「発想」が同時発生することもあります。

結局のところ、「起源」よりも、
「どれだけ発展させたか」ってことが重要なんじゃないかな?

だって「中国が紙を発明した」としても、
「文字を何かに書く」という発想は、古代エジプトのほうが古いですもの。

【追加】「古墳時代後期の豪族居館から飛鳥時代の法隆寺へのレベルアップ」について。

●戦国時代初期、武田信玄の居城は城でなく「躑躅ヶ崎館」だったけど、
南蛮貿易してた織田信長は「安土城」という高い「天守閣」(地上6階地下1階)を建て、
マントに西洋甲冑まで着ていました。
●明治初期には、「レンガ造り」(明治5年に富岡製糸場)や「西洋館」を建てて、
コーヒー飲んだり国産の蒸気船作ったりしています。

もともと
「古代出雲大社」や「前方後円墳」や「高床式倉庫」や「掘立柱建物」(三内丸山遺跡など)や
「入母屋造」(家形埴輪に名残が残る)」や「寄棟造の屋根」を作る技術はあったのですから、

中国から「瓦」と「寺院建築技術」を教えてもらえば、
作れちゃったのではないでしょうか。

ただ、
「建築技術」だけでなく「形」や「色彩」も、
それまでの日本では考えられない画期的な物だったと思います。
(現代では色あせてしまっているけど、当時は相当ハデな色だったと思う)

秦の始皇帝(紀元前210年頃)が精巧な「兵馬俑」を作っていた時代、
日本は「はにわ」(3世紀頃)だもんなぁ~。┌|∵|┘
(しかも、兵馬俑には「宮殿」の実物大のレプリカもあるそうです)

その時代の中国は、シルクロードで中東・欧州と交易があったらしいので、
まさにアジア随一の文明国家だったんだろうね。
(エジプトは紀元前3800年には鉄器の生産してたらしいけど)

sep********さん

2012/1/416:21:46

本来のご質問の回答ではありませんが。

幕末~明治の文明開化の時代、西洋ですでに発達した文化が
どっと押し寄せ、いきなり生活が変化したのはご存知のとおりです。
なので、古墳や埴輪が一気に隔たった仏教文化に変化したという
可能性は否定できないと思います。

よく言われるように、他文化を取り入れてどう消化するかが
日本の文化なのだと思います。
そして、他文化を取り入れても変わらなかったものもあるはずで、
それが質問者様の言うオリジナルということになるかなと思います。
(具体的に何なのかはわかりませんが)

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