ここから本文です

武田偬角って武道家は何をした人ですか?

tai********さん

2012/1/1814:50:33

武田偬角って武道家は何をした人ですか?

補足すみません武田惣角でした

閲覧数:
409
回答数:
4

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

編集あり2012/1/1815:35:27

武田 惣角は、大東流合気柔術・中興の祖といわれている人物です。

剣術、柔術ともかなりの達人であったらしく、「会津の小天狗」と称される程の実力を持っていました。一説によると、明治31年(1898年)、霊山神社の宮司をしていた元会津藩家老・西郷頼母(柔道講道館四天王 西郷四郎の親戚)より「剣術を捨て、合気柔術を世に広めよ」との指示を受け、剣術の修行を止めて大東流合気柔術の修行をしました。
その後、惣角は全国行脚して大東流合気柔術の技法を教授し、数多くの門弟を育てました。

また、全国行脚の最中に様々な他流試合や野試合(いわゆるストリートファイト)を行って、大東流合気柔術の実戦性を証明しました。
北辰一刀流玄武館出身で警視庁撃剣世話掛を務めた下江秀太郎と剣術試合をし、互角以上に渡り合ったといわれています。

エピソードとして、親英体道の開祖である井上鑑昭が幼少(本人の談によると12歳)の頃、叔父である植芝盛平(合気道の開祖)に連れられて大東流の稽古を見学しました。惣角から「坊、一緒に稽古せえ」と進められるが、井上は「ワシはおっちゃんの稽古嫌いやから嫌や、おっちゃんの稽古しても役に立たんし強ならへん」とあからさまに大東流の稽古法を否定しました。しかしそんな生意気な井上少年に対し、惣角は一切叱ることはなく(逆に叔父の植芝盛平が顔面蒼白になったという)、「そうかそうか」と笑って許したというのがあります。

原作者 松田隆智 作画 藤原芳秀の 『拳児』 (少年サンデーコミック)で、武田惣角が紹介されています。

質問した人からのコメント

2012/1/25 14:54:47

有難うございましたm(__)m

ベストアンサー以外の回答

1〜3件/3件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

yuu********さん

編集あり2012/1/1902:55:53

皆様が記されている殆どは「wikpedia」にある「武田惣角」そのままで、当たり外れがあります。現在の処「合気は武田惣角が創始した説が最有力」な程度です。最近確認された「武田時宗遺稿集」の精査、検証も十二分に必要でしょう。余りに美化されている点は、確証のない史実めいたものに過ぎぬものも多い。全体像としては創作されたり仮托された部分があるのは否めません。昭和初期に東京朝日新聞に掲載された武田惣角翁が、恰も隠遁者の如く振る舞っていた事は今後の研究者に委ねられましょう。そして「合気」の創始がどう武田惣角翁と関わっているかの史実の解明はもう少し先になるのではないでしょうか。

補遺:「wikpedia」にある「武田惣角」については各研究者・時代考証者などが既に否定されていたり、明かな誤伝としての記載も見受けられます。「武田惣角翁は「合気」を用いた希代な武術の遣い手であり、その伝承は故佐川幸義先生から武術界を震撼させたと、主観として考えています。」

tig********さん

2012/1/1815:08:13

大東流合気柔術の創始者

日本各地に普及活動に出向き、後の合気道開祖植芝盛平にも稽古した方です。

(簡単ですみません)

pek********さん

2012/1/1815:02:03

大東流合気柔術の中興の祖と呼ばれています。
すなわち世に広めた人物です。
あらゆる武術に通じていたとも言われています。
相撲、柔術、剣術、槍術、棒術、鎖鎌術、薙刀術、弓術も修めた人物です。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる